■1■映画「敵こそ、我が友」■ |
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2008年06月05日(Thu)
■1■映画「敵こそ、我が友」■
ドキュメンタリー映画「敵こそ、我が友」
ナチ戦犯を題材に「国家悪」描く 裁判であぶり出された"内面の闇" 2005年に96歳で死去したサイモン・ウィーゼンタールは 「ナチ・ハンター」の一人として、 米ロサンゼルスに自身の名を冠する 「サイモン・ウィーゼンタール・センター」を設立した。 国や団体を問わずわずかな「ナチ擁護」も許さず、 戦犯追跡にかかわった人数は4ケタにのぼる。 この7月に封切り予定のフランス映画『敵こそ、我が友』は、 同じようにナチ・ハンターとして知られる クラルスフェルト夫妻(フランス)の告発で捕まった大物戦犯 クラウス・バルビー(1913〜91)を主人公にしたドキュメンタリー映画である。 バルビーは、第2次大戦中、ドイツ軍が占領した 仏リヨン市でレジスタンス運動を取り締まるゲシュタポの責任者として、 「リヨンの虐殺者」との悪名を広げた人物。 映画でも、拷間相手の歯をペンチでへし折ったなどの 被害者らの生々しい証言が相次ぐ。 ナチスドイツの心酔者で、 粗暴で残忍な性格だったバルビーは戦後、 多くのナチ戦犯と同様に、名を変えて逃亡をつづけた。 時代は、東西冷戦へと移る。 ナチ時代に身につけた拷問や尋聞のノゥハウ、 反共産思想に目をつけたのが、西側の指導国ともいえる米国だった。 バルビーは、欧州全体の「反共産運動」のために"有用"な工作員として、 米国情報局によって雇われ、同時にかくまわれた。 そうしてナチ戦犯の追及から逃れつづけた。 それでも抗しきれなくなると、米側は南米へ逃亡ルートを開いて救った。 「クラウス・アルトマン」という変名のパスポートを作成。 バルビーは南米一帯に散らばっていたナチス残党の中心者として、 武器の密輸や情報収集にあたった。 生活の拠点であったボリビアに武器取引会社を設立、 巨万の富を得るまでに成功する。 ●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。 詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/ 柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。 著書に『カンボジアPKO体験記』など。 (聖教新聞より) ◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。 不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり 副収入を捜していた時です。 工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。 おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。 本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて! |
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