■2■映画「敵こそ、我が友」■



2008年06月07日(Sat)
■2■映画「敵こそ、我が友」■
一方、同時期にはキューバで共産主義革命が成功、

大臣をつとめた後のチェ・ゲバラがボリビアでゲリラ活動を始める。

バルビーは米情報局と連携し、ゲバラの殺害計画を立案する。

殺害が成功すると、ゲバラより15歳も上の世代だったバルビーは言い残す。

「第2次世界大戦を戦っていたらこんな男はとっくに戦死していた。

惨めな冒険主義者にすぎない。マスコミがつくりあげた偶像だ」

そんなバルビーの順風生活は長くはつづかなかった。

彼のあからさまな活動がユダヤ人組織の目にとまり、

「ナチ・ハンター」のク夫妻らから告発される。

戦犯として国際社会から厳しい追及を受けることに。

83年にボリビアからフランスに護送され、

通称「バルビー裁判」と呼ばれる戦犯法廷の被告人席に座らされた。

同国では死刑制度が廃止されており、最高刑の終身刑となった。

91年、がんに蝕まれリヨンで獄死する。

映画はいくつかの場面が時代順に追われる。

1、ナチスのゲシュタポ時代

2、米工作員として働いた欧州時代

3、南米での逃亡・活動

4、フランスでの戦犯追及

作品はすべて当事者の証言(インタビューしたもの)と歴史的映像を使って構成。

裁判では、ベトナム系フランス人の弁護士が

バルビーを熱心に弁護する様子も生々しい映像で迫ってくる。

だが、87年7月3日、裁判官と陪審員は「終身刑」の判決を言い渡した。

バルビーの残した言葉が紹介されている。

「(拷問や殺人のために雇うなど)あなた方全員が私を必要としたのに、

裁かれるのは私ひとり。そこに偽善がある」

「国家悪」を根本から問いかける象徴的な場面である。

ナチス時代に生き、そこで身につけた能力を反共主義の闘争のために

利用された本人の、それは精一杯の言い訳の言葉であったろう。

わが国では戦中、ほとんどの作家や言論人が軍部に迎合したものの、

一転、戦後は不問に付された。

戦後、『国家悪』の大著を記した経済学者の故・大熊信行創価大学教授は、

国家悪の根は「人間の内面」にあると喝破し、

単なる政治学では平和を享受する国家は確立できないと主張した。

「人間の内面」を変革する方法、

それこそ正しき宗教の役割であることを思い起こさせる。(ジャーナリスト)

●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。

詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/

柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。
著書に『カンボジアPKO体験記』など。

(聖教新聞より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!


   




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カレンダ
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