ちょっといい話

在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。

2008年06月07日(Sat)▲ページの先頭へ
■2■映画「敵こそ、我が友」■
一方、同時期にはキューバで共産主義革命が成功、

大臣をつとめた後のチェ・ゲバラがボリビアでゲリラ活動を始める。

バルビーは米情報局と連携し、ゲバラの殺害計画を立案する。

殺害が成功すると、ゲバラより15歳も上の世代だったバルビーは言い残す。

「第2次世界大戦を戦っていたらこんな男はとっくに戦死していた。

惨めな冒険主義者にすぎない。マスコミがつくりあげた偶像だ」

そんなバルビーの順風生活は長くはつづかなかった。

彼のあからさまな活動がユダヤ人組織の目にとまり、

「ナチ・ハンター」のク夫妻らから告発される。

戦犯として国際社会から厳しい追及を受けることに。

83年にボリビアからフランスに護送され、

通称「バルビー裁判」と呼ばれる戦犯法廷の被告人席に座らされた。

同国では死刑制度が廃止されており、最高刑の終身刑となった。

91年、がんに蝕まれリヨンで獄死する。

映画はいくつかの場面が時代順に追われる。

1、ナチスのゲシュタポ時代

2、米工作員として働いた欧州時代

3、南米での逃亡・活動

4、フランスでの戦犯追及

作品はすべて当事者の証言(インタビューしたもの)と歴史的映像を使って構成。

裁判では、ベトナム系フランス人の弁護士が

バルビーを熱心に弁護する様子も生々しい映像で迫ってくる。

だが、87年7月3日、裁判官と陪審員は「終身刑」の判決を言い渡した。

バルビーの残した言葉が紹介されている。

「(拷問や殺人のために雇うなど)あなた方全員が私を必要としたのに、

裁かれるのは私ひとり。そこに偽善がある」

「国家悪」を根本から問いかける象徴的な場面である。

ナチス時代に生き、そこで身につけた能力を反共主義の闘争のために

利用された本人の、それは精一杯の言い訳の言葉であったろう。

わが国では戦中、ほとんどの作家や言論人が軍部に迎合したものの、

一転、戦後は不問に付された。

戦後、『国家悪』の大著を記した経済学者の故・大熊信行創価大学教授は、

国家悪の根は「人間の内面」にあると喝破し、

単なる政治学では平和を享受する国家は確立できないと主張した。

「人間の内面」を変革する方法、

それこそ正しき宗教の役割であることを思い起こさせる。(ジャーナリスト)

●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。

詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/

柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。
著書に『カンボジアPKO体験記』など。

(聖教新聞より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!


2008年06月05日(Thu)▲ページの先頭へ
■1■映画「敵こそ、我が友」■
ドキュメンタリー映画「敵こそ、我が友」

ナチ戦犯を題材に「国家悪」描く
裁判であぶり出された"内面の闇"
 

2005年に96歳で死去したサイモン・ウィーゼンタールは

「ナチ・ハンター」の一人として、

米ロサンゼルスに自身の名を冠する

「サイモン・ウィーゼンタール・センター」を設立した。

国や団体を問わずわずかな「ナチ擁護」も許さず、

戦犯追跡にかかわった人数は4ケタにのぼる。

この7月に封切り予定のフランス映画『敵こそ、我が友』は、

同じようにナチ・ハンターとして知られる

クラルスフェルト夫妻(フランス)の告発で捕まった大物戦犯

クラウス・バルビー(1913〜91)を主人公にしたドキュメンタリー映画である。

バルビーは、第2次大戦中、ドイツ軍が占領した

仏リヨン市でレジスタンス運動を取り締まるゲシュタポの責任者として、

「リヨンの虐殺者」との悪名を広げた人物。

映画でも、拷間相手の歯をペンチでへし折ったなどの

被害者らの生々しい証言が相次ぐ。

ナチスドイツの心酔者で、

粗暴で残忍な性格だったバルビーは戦後、

多くのナチ戦犯と同様に、名を変えて逃亡をつづけた。

時代は、東西冷戦へと移る。

ナチ時代に身につけた拷問や尋聞のノゥハウ、

反共産思想に目をつけたのが、西側の指導国ともいえる米国だった。

バルビーは、欧州全体の「反共産運動」のために"有用"な工作員として、

米国情報局によって雇われ、同時にかくまわれた。

そうしてナチ戦犯の追及から逃れつづけた。

それでも抗しきれなくなると、米側は南米へ逃亡ルートを開いて救った。

「クラウス・アルトマン」という変名のパスポートを作成。

バルビーは南米一帯に散らばっていたナチス残党の中心者として、

武器の密輸や情報収集にあたった。

生活の拠点であったボリビアに武器取引会社を設立、

巨万の富を得るまでに成功する。

●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。

詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/

柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。
著書に『カンボジアPKO体験記』など。

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年05月29日(Thu)▲ページの先頭へ
■■千人の命を救う■
千人の命を救う
 
江戸時代中期の産科医で、賀川玄悦という人物がいる。
 
そんな時代に、男性の産科医がいたのかと、意外に思うかもしれない。
 
でも産科の専門医というのは、人数はわずかだが、
 
実は平安時代から存在していた。
 
ただ、お産は、たいがい産婆が手がけ、
 
難産による死亡率は、かなり高かった。
 
たとえば逆子で、赤ちゃんが外に出てこられずに死んでしまうと、
 
母体も死を待つだけだった。
 
数字が記録として残っていないので、正確にはわからないが、
 
現在、帝王切開は約二割。
 
そこから単純に推定すると、放っておけば二割が難産になり、
 
そのまた何割かは死に至ったのだろう。
 
まさにお産は、男が戦場におもむくのと、同じ覚悟が必要だった。
 
賀川玄悦は、こういった場合に、日本で初めて外科的処置を行ない、
 
母体の命を救った人物だ。
 
もとは近江の生まれだが、京都に出て、鍼や按摩によって、
 
貧しい人々の病気治療をしていた。
 
だがそれだけでは食べていかれず、古鉄の回収業もしていた。
 
四十歳の時、隣の家で難産があり、母体が死に瀕した。
 
玄悦はこれを哀れみ、ひと晩、考えた末、商売ものの鉄鉤を使って、
 
死んだ胎児を取り出し、母体を助けたのだ。
 
以来、千人の産婦を助けたいと誓いを立てた。
 
だが現代の臓器移植と同じように、玄悦の処置も、社会的に大反発を受けた。
 
また特に女性の性に関わることだけに、白い目で見られたことだろう。
 
彼の生涯は、偏見との戦いだったにちがいない。
 
それでも次第に理解され、入門する弟子も増えて、
 
晩年には産科術の専門書を出版するに至った。
 
玄悦の死後も、賀川流産科術は代々隆盛を極め、
 
明治になって西洋医学が導入されるまでに、弟子は二千人に及んだ。
 
玄悦は触診や内診を、日本で初めて行なった医者でもあり、
 
それによって胎児が頭を下にしていることに気づいた。
 
当時は胎児の頭は上向きと信じられていたのだ。
 
これはイギリスのスメリーという産科医と、ほぼ同時期の発見で、
 
世界に先駆けた大発見だった。
 
玄悦は日本が世界に誇るべき人物なのだ。
 
彼の唯一の楽しみは、毎年冬が来る前に、家のない子供たちのために、
 
綿入れの着物を配って歩くことだったという。
 
私は、こんな人物を、もっと知ってもらいたいと願ってやまない。
 
植松三十里
1954年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業後、
出版社勤務などを経て渡米。
80年「ハドル・アンド・ブレイク」で集英社青春小説新人賞佳作入選。
専業主婦のかたわら季刊日本語新聞「ひまつぶ新報」を発行。
2002年、「まれびと奇談」で第13回九州さが大衆文学賞佳作入選。
03年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞し、
これに「燃えたぎる石」を併載して『桑港にて』を刊行。
他の作品に『黍の花ゆれる』『千の命』『天璋院と和宮』などがある。

(第三文明4月号より)

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2008年02月23日(Sat)▲ページの先頭へ
■■低血糖で心身の働きが低下■
不安、疲れ、無気力の原因に
 
血液を通じ、人体のあらゆるところに、ブドウ糖が運ばれている。
 
これが全細胞のエネルギー源である。
 
ゆえに、血糖値の異常な低下は、心身の働きを低下させる。
 
極端な場合、低血糖が死を招くこともある。
 
1924年、米国のハリス博士は、砂糖の過剰摂取などの食事の崩れによって、
 
すい臓からインスリンが過剰に分泌され、
 
血糖値を低下させるという論文を発表した。
 
だが、その提唱は、広く理解を得るまでにはいたらなかった。
 
時を経て、1950年ごろ、米国医師ガイランドは、
 
自分自身の症状ー不安、ふるえ、無力感、めまい、失神、心悸亢進、
 
集中力と記憶力の低下ーについて、その原因を追究するうち、
 
ハリスの論文に出合う。
 
それによって、自分の自覚症状が低血糖症に由来することを理解した。
 
彼はその後、600人以上の低血糖症患者を診療、症状のリストを発表した。
 
神経過敏、怒りっぽい、極度の疲労、無気力、ふるえ、脱力、うつ、
 
めまい、眠い、頭痛、消化障害、忘れっぽい、不眠、理由不明の不安、
 
精神的な混乱……など。
 
低血糖症を学んだ私は、来談者の訴えと食生活から低血糖症を疑うと、
 
それへの理解が深い医師に紹介したが、
 
ほとんどの人たちが、低血糖症であることが分かったのだ。
 
糖分の取りすぎは、血糖を下げるインスリンの過剰分泌で、
 
かえって血糖値の低下を招く。
 
大学の講義で低血糖症について話すと、
 
学生の反応は殊のほか大きく、たとえば次のような報告があった。
 
「糖分の取りすぎは、私にとって耳が痛かった。
 
のどが渇けば、清涼飲料をがぶがぶ飲み、チョコレート、ケーキ、
 
菓子パンなど、甘いものが大好きで、いつも食べていた。
 
ご飯よりも、食べる量が多かったと思う。
 
思い返せば、私は立っていると、すぐ座りたくなったし、
 
朝からあくびばかりしていた。
 
自分でも驚くほど、集中力もなかった」
 
この報告と似たような生活をする学生は少なくない。
 
近ごろは、学力の低下が問題視されることも多い。
 
だが思うに、そもそも集中力のない学生であれば、
 
学力が低下するのも当然であろう。
 
岩手大学名誉教授 大沢博
 
(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年02月17日(Sun)▲ページの先頭へ
■2■「心をつなぐ力」■
◆「呼保義」

「保義」とは小役人で、将軍でなく小役人と睦んでほしいという意。

自分を卑下しているようなニックネームだが、

自分の果たすぺき役割を忘れないための自称とも考えられる。

保義とは、地元から選ばれた民と直に接する役人のことで、

宋.江自身が民のことを最も知っており、

事務処理能力が優れていると自認していたのだ。

戦において宋江は、豪傑たちの組み合わせについて腐心し、

それぞれの能力を存分に発揮できるよう配慮している。

適材適所の人材配置は、優れた人物把握と事務能力の高さの証明だ。

◆「孝義の黒二郎」

孝行と忠義とを併せ持つ人物という意。

宋江は孝行を尽くす謙虚な人物であり、

忠義のためならば自分が不利な立場に置かれることも厭わない人物だった。

そのため豪傑たちは誰よりも宋江を信頼し、宋江に応えようとした。



たとえ何らかの卓越した能力があったとしても、

傲慢で信頼されなければ、心をつなぐことはできない。

宋江には特別な能力はなかったが、

人格の大きさは並み居る豪傑たちをのみ込むほどであった。

たとえ、自分に卓越した能力がないとしても、

人のことを知り、細かいこともきちっと処理し、

信頼されるならば、心をつなぐ力を発揮することができる。

平凡な人物にも光を当てたという点においても、

梁山泊のリーダー・宋江の功績は大きい。

(第三文明2月号より)

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2008年02月16日(Sat)▲ページの先頭へ
■1■「心をつなぐ力」■
『水滸伝』に学ぶ「心をつなぐ力」

中国宋代の歴史書『宋史』によると、史実の宋江は、

宋に対抗した反乱軍の首領で、

1121年に現在の山東省のあたりで反乱を起こしたとされ、

「宋江は三十六人の武将をもって、

数万の官軍に対抗するほどの能力がある」と記されている。

この史実から、宋江を首領とする三十六人の男たち(のちに七十二人の男たちを加え、

百八人となる)が梁山泊を拠点として、悪と戦う小説『水濡伝』が生まれた。

『水濡伝』での宋江は、地元で採用される役人として登場。

親孝行で義に厚く、弱きを助け、貧しきを労る人物で、

当時の官吏にありがちな汚職もなく、謙虚で、高潔な人物として描かれる。

ところが、それ以外に大きな特徴はない。

大した武勇もなく、軍略的才能も持ち合わせていない。

このような人物である宋江が、なぜ梁山泊の豪傑たちのリーダーとなったのか。

彼につけられたニックネームから、その理由を探ってみたい。

◆「及時雨」

雨が欲しいときに雨を降らせてくれるような人物の意。

最も欲しがっているときに、

最も欲しがっている物を与えるのが宋江なのだが、

何を欲しているのかを知らなければ、与えられない。

宋江は人をよく知り、求めている事物を見抜き、惜しみなく与えた。

「士は己れを知る者のために死す」。

だから豪傑たちは宋江のもとに集った。

(第三文明2月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年02月12日(Tue)▲ページの先頭へ
■4■ゆっくり深める「人間関係」■
◆人間同士の深いきずなのイメージさえ持てない人もいます。

「心の依存」ができるかどうか、を基準に考えてみればよいでしょう。

相手が、自分に依存することができれば、それは信頼してくれている証しです。

相手からすれば、どんな思いも受け止めてくれる存在として、

こちらを見ているわけです。

親子関係と同様に、「心の依存」は、

友人・知入関係にもつくり出すことができます。

出会いの瞬間から、互いに深く理解し合うことは、なかなか難しいものです。

だからこそ、相手の立場・気持ちを考慮しながら、

相手が語る言葉、何を言いたいかを聞き続け、

じっと待つ姿勢を崩さない。

コミュニケーションを図る上で、そうした「空気の読み」は欠かせません。

時間はかかるでしょうが、心のきずなは一朝一夕には結べないからこそ、

貴重な財産となるに違いありません。

もちろん、主張を激しくぶつけ合う中から生まれる「共感」もあるでしょう。

いずれにしても、人問は「感情の動物」であるがゆえに、気持ちが通じ合う。

そうした互いの心を尊重する関係を築いていきたいものです。

心理カウンセラーの高平嘉明氏

(聖教新聞より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年02月09日(Sat)▲ページの先頭へ
■3■ゆっくり深める「人間関係」■

◆新しい友人関係を築くにあたっては、

相手の警戒心・反応を勘繰ってしまうことも……。


相手が対人関係を恐れていたり、傷付きやすい人という場合もあるでしょう。

ですから、相手に応じた付き合い方をすべきでしょうね。

心掛けたい点として、まず「話を聞く」ことです。

相手が話したいことに耳を傾け、理解しようとしてほしい。

弱い自分、ダメな自分を表現してくれたなら、否定したり、激励しないことです。

落ち込んでいる気持ちを分かろうと、努力してもらいたい。

もう一つは、「じっと待つ」ことです。人間関係を深めるには、

忍耐強く待ち続ける姿勢が大切です。

こちら側の"心の窓"を開けながら、待ち続ければ、相手はいつか必ずやってきます。

今の時代、それぞれが仕事や家庭で、いろいろな悩みを抱えています。

たとえ悩みを打ち明けてくれたとしても、

その原因を追究したり、アドバイスをする必要はありません。

臨床心理学者のユージン・ジェンドリンは"何も話さず、一緒にいるだけでも、

人は元気になると論じています。

人間関係を深めるのに、特別なコミュニケーション方法はありません。

「話を聞く」「じっと待つ」ことで十分なのです。

心理カウンセラーの高平嘉明氏

(聖教新聞より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年02月08日(Fri)▲ページの先頭へ
■2■ゆっくり深める「人間関係」■

◆人間関係を深めよう、との姿勢に、古今の差はないのですね。

そう思います。もちろん、

だれに対してもバカ正直に接することはできませんから、

多くの人は"仮面"をかぶり、生活しています。

けれど、仮面を脱げば、みんな同じ、悩みを抱えた人間です。

対人関係に苦しむ人には、そのことを最初に分かってほしい。

希薄化のイメージが強いためか、人によっては、

人間関係を新しく築いたり、それを深めることが難しく感じてしまいがちです。

「世の中に、変な人が増えている」と考えれば、

他人と関わることが、どうしても怖くなってしまいます。

日常の付き合いであれば、不安がる必要はありません。

思い切って、人の輪の中に飛び込んでほしい。

「おはよう」と、あいさつすることから始めましょう。

絵を描くことが好きな方であれば、その種の学校やサークルに通ってみては?

カラオケが好きならば、歌仲間を探してみてください。

日々の暮らしの中でも、ちょっとした工夫で人間関係を深めることができるのです。

自分を売り込むことで、自分の長所が生かされる

それが、私たちの暮らす社会であると思います。

近ごろは、さまざまなメデイアが発達し、

多くの入がそれらに生活時聞を取られがちですが、

人問が人間らしく生きるためには、

やはり生身の人間である他者と関わり合わねばなりません。

今一度、そこに立ち返ることができれば、豊かな人間関係、

潤いのある社会を保つことができるでしょう。

心理カウンセラーの高平嘉明氏

(聖教新聞より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

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2008年02月06日(Wed)▲ページの先頭へ
■1■ゆっくり深める「人間関係」■
 
友人・知人の数だけ、付き合い方があるといってよい。
それゆえ、人間関係を深めることは難しい、と感じる人もいるだろう。
対人関係に一歩深く踏み込み、人生をより豊かにするには、
何を心掛け、いかに行動すればよいのか
心理カウンセラーの高平嘉明氏に話を聞いた。


◆近年、競争社会の進展や地域社会の崩壊などに伴い、
人間関係の希薄化がよく指摘されます。

 
職場であれ、地域であれ、家庭であれ、

一昔前に比べ、社会環境は確かに変化しました。

家庭では、少子化によって、

子どもが多くのきょうだいに揉まれながら育つことも少なくなりました。

テレビや新聞では時々、親子関係の軋礫から生じた事件が報じられます。

ただ、家庭の内外を問わず、対人関係の悩みは、今も昔も変わりません。

人間関係に悩んで、相談(カウンセリング)に来る方は昔から絶えません。

孤独でさびしいという人もいれば、人と交わることが嫌で、

一人になりたい方もいる。

その多くは、生真面目で、物事に敏感です。

人に依存したり、甘えることが苦手な方も多い。

実は、悩むことは、問題解決の出発点です。

彼らにとっては、話せる相手を探すことが何より大切なのです。

たかひら・よしあき
1928年、宮崎県生まれ。辺地教育、知的障害児童教育、
言語治療教育を30数年聞、手掛ける。
その間、治療の專門家になるため、10年にわたり、ユング派の精神分析を受けた。
日本心理臨床学会名誉会員。著書に詩集『奇妙な果実』(土曜美術出版販売)。

(聖教新聞より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年01月11日(Fri)▲ページの先頭へ
■4■会話のマナー■

◆思わずムカッとしたとき

○まず、心で10数える

キレるというと若者のイメージですが、

じつは暴力事件での検挙率は30代と50代で増加しています。

社会で学校で家庭で、若者だけでなくキレやすい人が増えています。

人間関係のなかでムカッとする場面になってしまったら、

テンカウント法といって10数えることで怒りを制御することができます。

怒りの感情はとても反応が早いのでカッとした瞬間に物を投げているというように、

脳が感じた後、すぐに行動に表れてしまいがちです。

カッとしたら10数えると、その間に論理脳が働きだして冷静さを取り戻せるとも考えられています。

そうはいっても、会話中に声に出して数えるのは不自然なので、

たとえばハンカチを取り出すとか、お茶を飲むとか、トイレに行くとか、

場所を変えたり別の行動をするとよいでしょう。

その間に理性の脳が働きはじめます。

◆落ち込んでいる友人を励ましたい

○焦って無理に言葉をかけない

家族が末期がんだと宣告された、子どもが事故死してしまった……

深刻に落ち込んでいる友人に、どう言葉をかけたらよいのでしょうか。

早く励ましてあげたいと焦るあまり、

間髪をいれずに「大丈夫よ」と言ってしまうと、

軽々しく聞こえてしまう場合があります。

きれいな言葉で励まそうとしても、

傷つけたり気持ちを逆なでしてしまう場合もあります。

重要なのは、しっかりと相手の話を聞いたうえで、

適切なタイミングで話すこと。

悩みを打ち明けてくれたのを聞いて、言葉にならないときは、

無理してしゃべる必要はないといいます。

沈黙してしまってもいいのです。

肩をやさしくなでたり、目を見つめたり、

言葉にならない思いを伝えてもいいでしょう。

本気で相手によりそう気持ちは、

心のこもっていない表面的な言葉よりも、心に響きます。



新しい出会いは、人生を広げてくれます。

何気ない会話や振る舞いが、より深い人間関係を築いていきます。

いい友情とは閉ざされたものではなく、

友人の輪が幾重にも広がっていくもの。

さらには、イキイキした女性同士の連帯は、

地域を明るく輝かせ社会に新しい風を吹き込んでいくのです。

(パンプキン12月号より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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■3■会話のマナー■

◆苦手な人との付き合い方

○相手のタイプを知る

まず、相手のことを知ることです。

「よく知らないから苦手」という場合も多々あります。

しっかり話してみると、意外といい人だったということもあります。

短所と長所は裏表。

まずは、どんな人にも必ずいいところがあるので、

そこを見つけるようにしましょう。

会話の糸口にもなります。

そのうえで、相手の性格を知っておくと、

人間関係がスムーズになります。

たくさんの性格パターンがありますが、

大きく分けて支配欲求の強いタイプと服従欲求の強いタイプに大別することができます。

タイプによって同じ発言を聞いても感じ方が違うので、

相手がどちらのタイプかを認識して会話をすると、

コミュニケーションもスムーズになります。

相手のタイプを見分けるポイント

・支配欲求の強いタイプ

アイコンタクト(相手を見つめること)の時間が長い人。

平均的に日本人は、1分間に53%、約32秒程度、

自分が話しているときも相手が話しているときもアイコンタクトしている。

・服従欲求の強いタイプ

伏し目がちで違うところを見ながら話す人。

流行や人と同じものを選ぶ傾向が。

◆相手がやる気になる、注意のしかた

○「アイメッセージ(私は〜思う)」を伝える

人とのつきあい、頼みごとも「義務感」でやらされると重荷になりますが、

自ら「使命感」で行動すると、喜びが湧いてきて元気になります。

何気ない振る舞いが、「価値」を生みだすことに気づくからです。

仕事の遅い部下に「あなたは仕事が遅い」と言うのと

「私はもう少しあなたが早く仕事をしてくれたらうれしい」と言うのでは、

まったく相手の感じ方が違ってきます。

「あなたは〜です」は「ユー」メッセージですが

「私は〜と思います」という言い方は「アイ」メッセージといいます。

「私は喜んでいる、うれしい、助かる」と言われて不愉快な人はいないものです。

子どもが部屋を散らかしたときも「片づけてくれたらお母さんはうれしいな」と言ったら、

子ども本人は片づけることでお母さんに喜んでもらえるという価値が生まれるのです。

同じことを伝えるのであっても「アイ」メッセージで自分の気持ちや願望を伝えると、

相手はとても受け取りやすくなります。

(パンプキン12月号より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2008年01月07日(Mon)▲ページの先頭へ
■2■会話のマナー■

◆違う意見を上手に伝えたい

○まずは.相手の言い分を聞いてから

たとえば会話で、意見の食い違うことが出てくることもあります。

そんなときは、無理して相手に合わせる必要はありません。

相手の話によく耳を傾けながら、「私はちょっと賛成できないな」と、

その理由や自分の気持ちを語ることです。

ただ、そんなときにも注意したいポイントがあります。

まず、相手の言い分をしっかり聞くこと。

そして、話を途中でさえぎらない、逆説的な言葉は使わないこと。

「しかし」「お言葉ですが」という言葉は使わないようにしましょう。

「なるほど、そうですね」と言い分を、まず受け止めながら、

「こういうことですね?」とリピートしてみることで、

相手は自分の話を聞いてくれたのだと満足します。

そのうえで、自分の考えを切りだすと相手も聞く態勢になってくれます。

◆会話を弾ませるには?

○あいづちを打ち表情を豊かに

会話は生きています。

相手がどんな気持ちなのか、

絶えず読み取りながら会話を進めていくと、いい人間関係が築けます。

そのためには、やはり耳を傾ける、

あいづちを打つことも、会話を弾ませる秘訣です。

「本当にそうですね」と身をのりだすようにうなずいたり、

ときには驚いてみせたり……、あいづちをこまめに打つことで、

話し手のやる気に火をつけることができるのです。

目上の人と会うときも、気後れせずに、

相手の話に関心をもって聞いていると自然にあいづちを打つことになるので、

会話は進み、相手は満足して、いい関係が築かれます。

頭のよさは、表情筋の動きと関係しているといわれています。

人の話によく反応する人は大脳の動きが活発。

まわりの事柄にすばやく反応して、

感情を豊かに表現できる人は、頭の回転が速い証拠なのです。

(パンプキン12月号より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!


2008年01月06日(Sun)▲ページの先頭へ
■1■会話のマナー■
 
佐藤綾子
さとう・あやこ…パフォーマンス学・心理学博士。
日本大学芸術学部研究所教授。
社団法人パフォーマンス教育協会理事長。
株式会社国際パフォーマンス研究所代表。
パフォーマンス学の第一人者として、
首相経験者など政財界トップのブレーンとして支持されている。
ビジネスシーンから家庭まで広い分野での
パフォーマンス学、心理学によるアプローチをわかりやすく解説している。
最新刊「思いやりの日本人』をはじめ著書は145冊。
「佐藤綾子のパフォーマンス学講座月」2008年度生を募集中。
それに先立ち、08年1月19日(土)には体験公開セミナーを開催。
くわしくはHP(http:〃www,spis.c(Llp/)まで。

◆初対面の人に会うときは?

○明るい笑顔で語りかける

相手への好感をどこから感じとるか、という調査を日本人にしたところ、

「顔の表情」と答えた人はじつに60%、

つづいて「声の印象」32%、「言葉の印象」8%でした。

会話の内容よりも、むしろ話しているときの表情というのが、

心理に影響を及ぼしているというデータです。

同じ会話をするのでも、明るく楽しそうに語りかけるのと、

ぶすっとして義務感で話すのでは、聞く側の姿勢も違ってきます。

愚痴やかげ口は、時間を無駄にして人の心を暗くします。

「明るく(A)、楽しく(T)、ためになる(T)会話」を心がければ、

おしゃべりした後の気持ちもすがすがしいものです。

◆疲れないコミュニケーションのコツ

○むやみに自分を卑下しない

自慢話は嫌われる、というのは、だれもが知っていること。

その逆、謙遜のしすぎも嫌われてしまいます。

日本人は古来、「自分を小さく見せる「謙遜」は美徳として育てられました。

「ご主人は優しくて素敵ね」と言われても「家では亭王関白よ」。

「最近太っちゃって」と言うと

「あなたは大丈夫、私のほうがひどいわよ」とエスカレートていくと、

励ますのに疲れて、聞くほうが嫌になってきます。

むやみに自分を卑下せず、ほられたら否定せず、

「ありがとう」と素直に喜ぶほうが、相手は心理的に心地よいようです。

(パンプキン12月号より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!


2007年12月19日(Wed)▲ページの先頭へ
■2■アグネス・チャン■
 
10月5日(金)
 
術後の経過は良好です。
 
一時退院できました!
 
振り返るとちょうど1年前に山本伸一先生から長編詩を頂き、
 
平和を讃える2曲が生まれました。
 
その間に二度も手術をするとは思いもしませんでした。
 
歌を通じて出会った人たちとの絆、
 
歌詞に励まされ死の不安を乗り越えた日々……。
 
生命の尊さを心に刻ませて頂いた激動の1年でした。
 
唾液線腫の手術では顔が歪む、乳がんでは乳房を失う可能性がありました。
 
どちらも女性にとっては辛いこと。
 
人間は外見じゃないと言ってはいたものの、
 
みんなはどう思うのかしらと心が揺れてね。
 
外見を気にしていた自分を知りました。
 
顔が歪もうが、胸を失おうが私は変わらない。
 
一人の女性、そして人間としていかに内面を磨いていくことができるか。
 
50歳を過ぎて究極のレッスンを受けました。
 
これからの人生が本番です。
 
10月7日(日)
 
乳がんの宜告を受ける前に大切な人一へ鉢植えの花を贈りました。
 
後日、一輪の花が咲いた写真、
 
たくさんの花が咲いた写真をお礼にと頂きました。
 
温かな真心と写真から伝わってくる花の生命力に毎日励まされでいます。
 
長編詩を改めて何度も読み返しています。
 
乳がんになる前と今とでは、感じ方がこうも違うのかと自分で驚いています。
 
こんなにも深い意味があったのかと感動でいっぱい。
 
長編詩から3曲目を作っていると報告しましたが、
 
喜びのなかで曲が完成しました。
 
10月10日(水)
 
神戸のコンサート、大成功でした!!
 
会場を埋めつくした皆さんの顔を見たら、もう胸がいっぱい。
 
心配していた声も出ました。
 
本人は覚えていないのですが、
 
最後は思うように動かない右腕を高々とあげ、手を振っていたそうです。
 
奇跡です!
 
皆さんのパワーが乗りうつったんでしょうね。
 
10月15日(月)
 
中日国交正常化35年を祝う北京のコンサートまで2週間。
 
中国語の歌詞を今、必死に覚えています。
 
「今こそ平和の歌声を高らかに」という歌詞のところは、
 
「今、私たちはみんなで平和の歌をうたう」と中国語に訳しました。
 
人民大会堂に日本のファンと中国のファンとが集って平和の歌を大合唱する。
 
今から胸がドキドキです。
 
民衆の心と心の交流の先に平和の道は開けていく。
 
コンサートはその一歩です。
 
生命そして平和の尊さを訴えた山本先生の歌を中国の皆さんに届けに行ってきます。
 
10月31日(水)
 
人民大会堂のコンサート、大成功でした!!
 
多謝!!
 
中日の6000人の仲問と平和の歌を大合唱しました。
 
その大感動は1月号でお伝えしますね。
 
(パンプキン12月号より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

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2007年12月17日(Mon)▲ページの先頭へ
■1■アグネス・チャン■
9月15日(火)

19日に右胸に小さなしこりを感じ検査を受けました。

結果は乳がん。

後から、「なぜ、私が…;」との思いが、込み上げて、

移動の車中ではずっと泣いてしまいました。

母乳期間が長い人ほど乳がんの発症リスクは低いといいます。

3人の子を母乳で育て、食生活にも留意してきたので、

自分は乳がんと無縁と思っていました。

だから検診も受けたことがない、

セルフチエックすらしたことがありませんでした。

「早期に発見ができれば、乳がんは生命を脅かす病気じゃない。

検診を受けて早く見つけてー」

乳がんと闘っている人たちの必死のメッセージをどこか他人事と思っていました。

それが今は恥ずかしいです。

そんな私が、たまたま乳房に触れ、かすかな痛みと小さなしこりを発見できた。

これって奇跡です。

ましてや北京のコンサートが予定通り行われていたら、

心に余裕はなく発見はずっと遅れていたでしょう。

目に見えない大きな力に守られているとしか思えません。

10月3日(水)

1日の手術は大成功でした。

2日間は手術の副作用で苦しかったけれど、

今日きすっかり良くなりました。

腫瘍は小さく、リンパ腺への転移もなかったので乳房温存手術ができました。

本当に不幸中の幸いでした。

がんの闘病で大切なのは前向ぎな気持ち。

そうとわかっていても失つた乳房を見るのが怖くて2日間はビクビクしていました。

今日、先生から「まだ傷を見ていないの?」と促され、

勇気を出して、右胸と対面しまレた。

想像していたより乳房が残っているのに驚き!

改めて早期発見の大切さをかみしめています。

医師とはいっでも男性でしょう。

最初は胸を見られることに抵抗感ありましたよ。

でも連日多くの先生方に見られていると、恥ずかしさもなんのその。

今は胸の傷にも「よく頑張ったね」と「声をかけてやりたい気持ちでいっぱいです。

皆さんもしこりを見つけたら、

恥ずかしがらずにすぐに受診してほしい!

何よりも大切なのは命です。

(パンプキン12月号より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

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2007年09月17日(Mon)▲ページの先頭へ
■3■アイデアを生むには■
◆「ゆらぎ」が多いほどアイデアは生まれやすい


では、アイデアをより効率的に生む方法はあるのでしょうか?

脳科学的見地から言えるのは、

「脳のゆらぎを豊かにするとアイデアも生まれやすい」ということです。

「ゆらぎ」とは、規則性がないために予測できない空間的・時間的変化や動きのこと。

典型的なのは、風の吹き方です。

私たちの脳の働きも、風と同じようにつねにゆらいでいます、

たとえば、同じ人から同じ言葉をかけられても、

そのときの気分一つで受け止め方は変わってきますね。

また、ジャンケンをするとき、

「次に自分が何を出すか?」はまったく規則的ではありませんね。

それらはみな、脳のゆらぎのあらわれなのです。

そして、この脳のゆらぎこそが「アイデアの源」です。

つまり、ゆらぎが豊かな人ほどアイデアも豊富だといえます。

さきに、「アイデアを生むためには、

その前段階として一つのことを考え抜く過程が不可欠だ」と述べました。

しかし、その場合の「考え抜く」とは、

一点を凝視しつづけるような「集中」の思考とは異なります。

一つのテーマについての情報をどんどんインプットし、

さまざまな面から光を当ててみることで、脳に「ゆらぎの渦」を巻き起こすーそれが、

アイデアのために必要な思考なのです。

すなわち、脳のゆらぎを豊かにするには、

大量の情報を脳にインプットする必要があります。

脳はつねにゆらいでいますから、

その情報処理は、「1」を入力すると「1」が出力されるような対称形にはなりません。

大量にインプットされた情報は、あたかも光が乱反射するように、

脳のゆらぎを増幅させるのです。

「散歩をしているときにアイデアが生まれやすい」とはよく言われることですが、

脳科学的見地から見れば、

それは散歩によって新しい空間の情報がどんどん脳にインプットされ、

ゆらぎを豊かにするためです。

脳のゆらぎを豊かにするもう一つの方法は、

他者とのディスカッション(議論)を重ねることです。

一人の人間の思考パターンはかぎられていますが、

ディスカッションによって別のパターンが生まれます。

思いもよらない方向から、テーマに光を当てることができるのです。

そのことが脳のゆらぎを豊かにし、アイデアを生まれやすくします。

ビジネスの世界では、アイデアを生むためにスタッフが集って自由に意見を出し合う

「ブレスト(ブレイン・ストーミング)」がよく行われます。

それは、脳科学から見ても理にかなった方法といえます。

池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970(昭和45)年生まれ。薬学博士。
98年、脳の海馬の研究により、東京大学大学院薬学研究科で薬学博士号を取得。
2002〜2005年、米コロンビア大学生物科学講座客員研究員。
現在、東大大学院薬学系研究科・講師。
著書に、「進化しすぎた脳」(講談社ブルーバノクス)、
「脳はなにかと言い訳する」(祥伝社)、
「海馬一脳は疲れない」(糸井重里氏との共著、新潮文庫)などがある。


(パンプキン9月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

素晴らしいことに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

ワクワクの毎日を過ごしています。(^ △ ^)♭♪


2007年09月16日(Sun)▲ページの先頭へ
■2■アイデアを生むには■
◆アイデアは「努力と学習の結果」

私の友人に、「詰め将棋」が趣味の人がいます。

その人が言っていたことですが、詰め将棋の解けない問題のことは、

無意識のうちにずっと考えつづけているから、

ふとした瞬間にパッと答えが頭に浮かんだりするそうです。

ところが、一度解けた問題はもうすっかり忘れてしまい、

その問題を思い出すことすらできないとか。

私も、書きかけの原稿のことは、何をしていても意識の片隅で考えつづけています。

だからこそ、ふとした瞬間にいい文章が浮かんだりするのです。

ところが、書き上げて編集者に送ってしまうと、

その原稿のことはもうすっかり意識から消え去ってしまいます。

そのように、「あれを完成させなくちゃ」という

欠落感・未完成感をもちつづけることこそ、

アイデアを生むための原動力になります。

欠落感があるからこそ、脳は無意識のうちにその"欠落"を埋める

アイデアを探しつづけるものなのです。

人はとかく、アイデアは何もないところに突然"舞い降りてくる"ものだと思いがちです。

しかし、実際にはそうではありません。

「アイデアという突破口」を懸命に探し求めている人の脳にこそ、

アイデアは生まれるのです。

「近代細菌学の祖」パスツールの言葉に、

「幸運は準備のできた者に味方する」というものがあります。

アイデアも、それを生む準備のできていない者の脳には生まれないのです。

脳には、「ストリアツム(線条体)」という部位があります。

アイデアを含む直観のたぐいは、ここから生まれると考えられています。

そして、ストリアツムが生み出す直観は、さまざまな「学習」に由来しています。

たとえば、高校生がサッカー部に入って練習をつづけていると、

いつしか、必要に応じて無意識にドリブルができるようになりますね。

そのような、「学習の結果できるようになる無意識の動き」も、ストリァッムの働きです。

同様に、アイデアも、努力と学習の積み重ねによってストリアツムから生まれるのです。

それは直観ではあっても、根拠のないデタラメな思いつきではありません。

意識のうえで考え抜いたあと、巨大な無意識層に思考をゆだねることで、

無意識層がはじき出した一つの「解答」なのです。


池谷裕二(いけがや・ゆうじ)


(パンプキン9月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

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2007年09月15日(Sat)▲ページの先頭へ
■1■アイデアを生むには■
◆アイデアが浮かびやすいのはトイレの中?

私たち科学者は、実験の現場を離れると、一気にアイデアが枯渇しがちです。

たとえば、「定年退職後に画期的な発見を成し遂げた」という科学者は、

まず見当たりません。

このことには、2つの側面があると思います。

1つは、「実際に手を動かして実験をすることが、

いかに脳を活性化するか」ということ。

手の指先にはたくさんの神経細胞があります。

だからこそ、指先を活発に使えば使うほど、

それに連動して脳の神経細胞も活発に働き、アイデアが浮かびやすいのです。

もうーつの側面は、実験の現場に身を置いていると、

「何がなんでもアイデアを生まないといけない」

という状況にしばしば追いつめられる」ということ。

だからこそ、アイデアを求めて脳がフル回転します。

しかし、現場から離れると、そのように"追いつめられる機会"自体がなくなりますから、

脳の潜在能力が十分発揮されないのです。

以上のことは、科学者にかぎらず、

アイデアを必要とするあらゆる人にあてはまるでしょう。

すなわち、活発に手を動かすことと、

「アイデアが出なければたいへんだ」という状況に自らを追い込むこと

その2つが、アイデアを生むための要件なのです。

「現場に身を置くことのたいせつさ」

を強調したすぐあとに矛盾したことを言うようですが、

アイデアは、じつは現場ではなかなか浮かびません。

現場から一歩離れてリラックスしているとき

いわば「オフラインの時間」に浮かぶことが多いのです。

昔の人は、そのことを「三上」という言葉で表現しました。

「三上」とは、「馬上・枕上・厨上」の3つを言います。

つまり、「馬に乗っているときと、

寝床に入ってゆったりしているとき、

トイレに入っているときに、いいアイデアが浮かびやすい」ということを言った言葉です。

3つとも、「オフラインの時問」と言えるでしよう。


◆なぜ、「オフラインの時間」にアイデアが浮かびやすいのでしょう?

それもまた、脳の仕組みによります。

脳は、情報のインプット(入力)とアウトプット(出力)を同時にはこなせません。

パソコンに向かったり、実験をしたりする「オンラインの時間」は、

大量の情報をインプットする時間であり、いわば「スポンジに水を吸わせる過程」です。

そのときには意識がインプットに集中するので、

アイデアを生むようなアウトプットを同時に行うのは無理なのです。

アイデアを生むのは、いわば「水をいっぱい吸ったスポンジを絞る過程」です。

現場に身を置き、一つのことを考えつづけていないと、

スポンジに水が満ちていないので、いくら絞ってもアイデアが出てこないことになります。

池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970(昭和45)年生まれ。薬学博士。
98年、脳の海馬の研究により、東京大学大学院薬学研究科で薬学博士号を取得。
2002〜2005年、米コロンビア大学生物科学講座客員研究員。
現在、東大大学院薬学系研究科・講師。
著書に、「進化しすぎた脳」(講談社ブルーバノクス)、
「脳はなにかと言い訳する」(祥伝社)、
「海馬一脳は疲れない」(糸井重里氏との共著、新潮文庫)などがある。


(パンプキン9月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

素晴らしいことに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

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2007年09月14日(Fri)▲ページの先頭へ
■■誉められたいがために■
◆自分を変えた母と恩師の言葉

僕は今、年間170回くらい講演をします。

テーマも子育て、仕事、趣味などさまぎまです。

教育者でもない僕に子育ての話がなぜできるかといえば、

僕目身の経験があるからです。

家は商売していて忙しかった上に、僕は四人きょうだいの末っ子で、

兄たちはみんな勉強ができたため、劣等感の固まりでした。

反発心からまったく勉強をせず、小学校の通信簿はオール1。

義務教育だから普通は退学がないはずの中学校時代に退学になる有様でした。

そんな僕を救ってくれたのは、「お前はタバコを吸わないからいい。

お前の人生、これから先のほうがずっと長いんだから」という母の言葉でした。

中学生がタバコを吸わないのは当たり前、他に誉めようがなかったんでしょうが、

僕にとってはうれしかった。

さらに僕の人生を変えてくれたのは、高校で出会った先生でした。

初めての中間テストで三択で適当に選んだら、60点を取った。

すると先生は「お前はやればできる」と誉めてくれたんです。

それ以来、この先生に誉められたいがために勉強するようになった。

ビリで入学した僕が、卒業の時は総代になったのも先生のおかげです。

こうした僕の経験から、子どもは誉められ評価されることで伸びると確信しています。

◆勉強は人生を豊かにする

勉強は何のためにするのかといえば、夢中になれる好きなことを見つけて、

自分らしく生きるためなんじゃないでしょうか。

僕がおもちゃを集め始めたのは25歳からです。

部屋のインテリアにしたくて古い時計やポスターを集めたのがきっかけですが、

それからは猛勉強しました。

勉強という意味では今が一番しているかもしれません。

たとえば『珠玉の日本語・辞世の句』を書くために人物の資料を60冊以上読みました。

その結果、テレビの時代劇を見ていても面白さが増すし、

僕自身の人生がどれだけ豊かになったか分かりません。

僕の強みといえば一歩踏み出す勇気、行動力だろうと思ってます。

子どもに夢を持ってほしいなら、まずは大人が目を輝かせて生きることです。

そんな大人の姿を子どもはしっかり見ています。


横浜ブリキのおもちゃ博物館館長・株式会社トーイズ代表取締役社長
北原照久さん

(灯台10月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2007年09月08日(Sat)▲ページの先頭へ
■3■笑顔で■
☆少しづつ練習すればいずれ習慣化

◆笑顔をつくろうと努力することは、心の負担(ストレス)となるようにも思えますが……。◆

そうかもしれません。

けれど、入間嫌いでもないのに無愛想・無表情な人であれば、

誤解されないためにも、笑顔づくりに励んだ方がいい、と考えます。

表情は少しずつ練習すれば、いずれ習慣化されます。

どんな人でも、笑った顔の方が感じよく見えますね。

それに、だれかと話しているとき、自分が笑顔ならば、

相手もそれにつられて、笑顔になります。

つまり、同調するのです。

そうなれば、人間関係も円滑に築くことができます。

表情がにこやかであることは、自分にとっても、他人にとっても好ましいわけです。

笑顔づくりの練習をするにあたり、私は鏡を使うよりも、

親しい人に注意してもらうことを勧めます。

鏡の前では、"自分の顔を見ている"という意識が働きますので、

普段の表情は分かりません。

常日ごろ、しかめっ面や恐い顔をすることが多い人は、

そのつど注意してもらい、直す方がより効果的である、と思います。

◆古い世代の日本人男性であれば、

「笑顔をあまり見せるべきではない」と考える人も少なくないのでは?◆

威厳が損なわれるからでしょうね。

昔はよく、そう言われたようです。

世代の違いによって、笑顔の与える印象も違うといえます。

また、気持ちをきちんと伝える欧米入であれば、笑顔もはっきりしています。

その意味では、"表情の文化差"もあるでしょう。

実際、欧米の人たちからすれば、日本人は表情に乏しく、

喜んでいても、心から喜んでいないように思えることもあるとか。

同じ笑顔でも、文化や世代、状況の違いによって、その意味合いも変化します。

とはいえ、冒頭でも話したように、笑顔の印象は、他の表情に比べ、はるかに好ましい。

人間味あふれる、温かい社会を築くためにも、

世の中に笑顔の人が増えることは、とてもいいこと私は、そう思いますね。

三宮真智子・鳴門教育大学教授

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2007年09月07日(Fri)▲ページの先頭へ
■2■笑顔で■
☆ミスて落ち込む部下を励ますコツは?

◆例えば、部下が仕事でミスをした場合、上司は叱らなければなりません。

笑顔を用いて、上手に叱る方法はありますか。◆

最初から最後まで、叱り続けるべきではないでしょう。

叱ることは、人格を否定することではありません。

上司はまず、その点を心に留めておきたいものです。

具体的には、上司は失敗の原因を明確にして、

そこを直すよう、部下に伝えることが大切です。

その上で、部下が意気消沈していたり、委縮しているならば、

少し笑顔を覗かせながら、心のケアを入れてあげましょう。

満面の笑みでは、ダメですよ。

部下は「大したミスではなかったんだ」と、誤解してしまいますから(笑)

◆仕事であれ、ほかの何かであれ、部下が上司の命令や頼みを断る際は、どうすれば?◆

とても難しいことですね。

一つ言えることとして、失礼なく、きちんと断りたいならば、

必要以上に笑顔を見せない方がいいでしょう。

あまり笑顔をつくり過ぎると、

「口では拒否しているが、本心は違うんだな」などと、勘違いされる恐れもありますから。

◆友人・知人と対話するとき、緊張する人がいます。

その場合、どんな笑顔の使い方が考えられますか。◆

無理のない笑顔で接することが、大事でしょう。

頑張って笑顔をつくっていると、それがどうしてもぎこちなくなるからです。

話の内容が面白くなくとも、にこやかな表惰で、

あいつちをうちながら、耳を傾ければ、相手は悪い気はしません。

無理に褒める必要はありません。

「聞き上手」になろうと思えぽいいのではないでしょうか。

三宮真智子・鳴門教育大学教授

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

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2007年09月06日(Thu)▲ページの先頭へ
■1■笑顔■
笑顔を見れば、心が和らいだり、うれしい気持ちになったりするものだ。

落ち込んでいるとき、他人の笑顔を見て、ホッとすることもあるのでは?

なぜ、にこやかな表情は、人を快くさせるのだろう。

「笑顔と心の関係」について、上手な笑顔の使い方も含めつつ、

認知心理学を専門とする三宮真智子・鳴門教育大学教授に語ってもらった。


☆にこやかな表情は「気持ちを明かるくする」

◆笑顔は、対人コミュニケーションを円滑にします。

どんなメカニズムが働いているのでしょうか。◆

会話に際して、表情は大きな意味をもちます。

初対面の人と話す場合は特に、そう。

人は、相手が自分に対し、

少なくとも嫌悪感やネガティブな感情を持たないでほしいと思いますから、

言語コミュニケーションだけでなく、顔面表情や身振り、手振り、

声の調子といった非言語コミュニケーションも大いに活用して、

自分に対する相手の感情を推測します。

非言語情報は、ある意味、言語情報以上に、相手を知る手掛かりとなります。

言葉の表現は慎重に選んで使う一方、顔の表情はわりと素直に出ますので、

表情は言葉に比べ、相手にとって信用度は高いのです。

少々ぶっきらぼうな言葉遣いであっても、

顔の表情がニコニコしていれば、相手は好意的に感じてくれます。

逆に、いくら丁寧な言葉を用いても、無表情であったり、

顔がこわばっていたりすると、相手に与える印象はあまりよくないでしょう。

笑顔は、会話相手によりよい印象を与えるための最適な手段です。

心理学では「印象管理」の手だての1つとして、よく使われています。

もっとも、満面の笑みがずっと続くと、不自然ですけれど……(笑い)。

◆笑顔によって、自分自身の気持ちも和んだり、明るくなったりします。◆

そうですね。

心理学のジェームズ=ランゲ説では「楽しいから笑うのではなく、

笑うから楽しい」とも論じられています。

少々嫌なことがあっても、笑顔を続けることで、

それを乗り越えられるのではないでしょうか。

笑顔を意識的につくることによっても、心を明るくする効果は十分に期待できます。

確かに、自己暗示や錯覚であるかもしれないけれど、

自分にとって好影響になるならば、笑顔をうまく活用すればいい、と思います。

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

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ワクワクの毎日を過ごしています。(^ △ ^)♭♪



2007年08月26日(Sun)▲ページの先頭へ
■■語源は楽しい■
◆説がいくつかあり分からない場合も

皆さんは「さくら(桜)」をなぜ「さくら」というのか、考えたことはありますか。
語源については諸説ありますが、個人的には、
「さ」は「さがみ(田神)」の「さ」で、穀物の霊の意、
「くら」は神のよりつく場所の「くら(座)」の意で、
「さくら」は穀霊がよりつく神の座のこととする説が好きです。
好きなんていう言い方は学問的ではないかもしれませんが、
古人は桜の花の咲き具合からその年の稲の実りを占ったとされ、
農耕ととても深い関係にあることを思うと、
肩入れしたくなってしまいます。
ちなみに他には、桜の霊であるコノハナノサクヤビメの「サクヤ」からとする説、
美しく咲くという意味で、「さきうら(咲麗)」が変化したとする説などがあります。
桜のように、単語の語源は自然発生的で、
本当のところは分からない、というのが現状ですが、
慣用的な表現についてはその由来をたどることができます。
毎日暑い日が続きますが、夏の定番料理といえば豆腐の「冷奴」でしょう。
さて、この「奴」、どこからきたのかご存じでしょうか。
「奴」というのは、江戸時代に武家に仕えた中間のことで、
大名行列では槍や挟み箱を担いでお供をしました。
その中間の着物についている紋の形に似ていることから、
四角に切った豆腐のことを「奴豆腐」、
略して「奴」というようになりました。
「奴に切る」といえば、大きめの四角い形に切ることですね。
「冷奴」とくれば、お酒が恋しくなる人もいるでしょう。
ところで、酒好きのことを「左利き」と言いますね。
この語源も時代は江戸時代にさかのぼります。
鉱山で働く入が右手に金槌、左手に鑿(のみ)を持ったことから、
右手を「槌手」、左手を「鑿手」といいました。
そこから、「鑿手」を「飲み手」にかけて、
酒好きのことを「左利き」というようになりました。
いわば語呂合わせでできた言葉というわけです。
さて、今年の夏は早々に台風が来て、
せっかくの夏休みの計画がおじゃんになったという人もおられることでしょう。
この「おじゃんになる」、物事が途中でだめになる、
失敗に終わるという意味ですが、語源の一つに、江戸時代、
火事の鎮火を知らせるために半鐘を「じゃんじゃん」と鳴らしたことから、
「じゃん」に詠嘆の「おお」が付いて「おおじゃん」、
さらに略して「おじゃん」となったという説があります。
実際には、だめになる意の「じゃみ」が変化したとする説が有力ですが、
私としては先の半鐘説のほうが本当らしく、楽しさもあって納得してしまいます。

◆「関の山」の由来は山の名前ではない

つい先日まで甲子園では熱戦が繰り広げられましたね。
4081校が参加し、晴れの代表を勝ち得たのは49校。
地方予選で悔し涙を流したチームのほうが圧倒的に多いことには改めて驚かされます。
中には、2回戦に進むのが関の山だった、
来年こそはもっと良い成績をと決意を新たにしているチームもあることでしょう。
ところで、これ以上は無理、もう精一杯、というときに「関の山」といいますね。
この「関の山」ってなんのことだと思いますか。
「関」というのは東海道五十三次の47番目の宿場、関宿のことです。
現在の三重県亀山市関町で、今も昔の街道の面影を残しています。
「山」というのは祭りの「山車」のことで、
関町の祭礼の山車は絢燗豪華、街道をふさぐほどで、
これ以上のものはないという意味からきた言葉です。
どこかの山の名前ではありません。
そうこうするうちに夏休みも残すところわずか。
子供達の中には宿題が終わってなくて、
最後の仕上げに大童(おおわらわ)という人もいるのではないでしょうか。
この「大童」、なりふり構わず物事をするという意味ですが、
昔、武士が戦場で兜を脱ぎ、髪を振り乱して戦うさまが、
髪を結わない童(子供)に似ていたことからいうようになったものです。
言葉の由来を知ると、なんだか得したような、楽しい気分になりませんか。
少しでも言葉に関心を持っていただけたとしたら、うれしい限りです。

辞典編集者 西谷裕子

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

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2007年08月25日(Sat)▲ページの先頭へ
■3■脳トレ■
篠原菊紀・諏訪東京理科大学教授に聞きました。

◆対人コミュニケーションは、脳トレの機能を果たす、ということでしょうか。

人と話したり、人のいいところを見つけようとする時、

前頭前野は活性化する、というデータが得られています。

特に、対面コミュニケーションの場合、

「表情を読み取ろう」「情動を感じ取ろう」と、

言語外の情報に意識が向きますので、脳がいっそう活発に働きます。

逆に、携帯電話であれば、何時間でもしゃべることが可能です。

対面コミュニケーションで必要となるエネルギーがいらないので、

きっと、楽なのでしょう。

顧脳トレとは、いわば、脳に負荷を掛ける作業です。

ねずみが幼少期、過剰でないストレスを味わえば、

ストレス耐性の強いねずみに成長するように、

脳にも適度なストレスを与えることで、

その機能を長く維持することができるはずです。

負荷がなければ、一見、リラックスしているように思われがちですが、

実のところ、脳はいわば"甘やかされている"状態なのです。

◆日常生活それ自体が、脳トレであるようにも……。

確かに、だれもがいつも、自然に、脳トレをこなしています。

とはいえ、便利になった現代だけに、日常では補えない部分も生じています。

昔は今と比べ、はるかに運動する機会は多かった。

農作業も手伝えば、長距離を歩行することも、日常だったわけです。

けれど今は、ウオーキングに行ったり、ジムに通ったり……。

同様に、人生80年とも、100年ともいわれる時代を乗り切ろうとするには、

脳を長持ちさせる努力が必要でしょう。

ちょっとした負荷を経験すれば、それが刺激となって、

心地よい達成感や充実感を得ることができます。

その意味では、心を安らげることにも役立つかもしれません。


しのはら・きくのり1960年、長野県生まれ。
専門は、健康教育学・脳システム論。テレビ番組で活躍中。
著書に『ボケない脳をつくる』(集英社)、
『頭を鍛える「活脳」トレーニング』(PHP研究所)など多数。

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2007年08月24日(Fri)▲ページの先頭へ
■2■脳トレ■
篠原菊紀・諏訪東京理科大学教授に聞きました。

◆脳トレによって、実際に、脳を鍛えることができるのでしょうか。

可能ではある、と思います。

ただ、脳トレの長期効果については、研究成果が少ないため、まだはっきりしていません。

認知症の予防に効果的か否かに関しても同様です。

長期の疫学データが必要なのです。

脳トレを始めようとするなら、その前に、確認すべき点があります。

それは、食生活を見直したり、運動をしたりと、健康面の努力をしているか、ということ。

いくら脳トレをしても、脳梗塞などで倒れてしまえば、まったく意味がありません。

スウェーデンのカロリンスカ研究所・加齢研究センターの調査をはじめ、

脳と健康、あるいは脳と生活習慣病は、

とても密接な関係にあることが多数、報告されています。

一例を挙げれば、血圧の上が140or以下、肥満を示すBMI値が30以下、

コレステロールが250r/dl以下で、日常的に運動をする人は、認知症になりにくい

そんな研究結果が出ています。

◆ボランティアのような社会参加も、前頭前野を鍛えることにつながるとか。

その通りです。

男性であれば、認知機能が定年退職後、極端に落ち込みがちです。

何かの集会や学習講座に、月平均2、3回ほど参加するだけでも、

認知機能が回復します。

だれかと同じ空間を共有することが大切です。

自分が笑ったり、他人の笑顔を見たりするだけでも、

脳は活性化されますから。笑いのある地域や

社会、家庭は、それだけで実は、脳をやさしく育ててくれるのです。


しのはら・きくのり1960年、長野県生まれ。
専門は、健康教育学・脳システム論。テレビ番組で活躍中。
著書に『ボケない脳をつくる』(集英社)、
『頭を鍛える「活脳」トレーニング』(PHP研究所)など多数。

(聖教新聞より)

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2007年08月22日(Wed)▲ページの先頭へ
■1■脳トレ■
篠原菊紀・諏訪東京理科大学教授に聞きました。

◆脳トレブームの火付け役はやはり、ゲームだった?

もっと遡れば、立花隆氏の"脳研究"やNHKスペシャルの

「脳と心」から始まったともいえるでしょうが、

最近のブームに関しては、

数年前に流行した音読ブームが出発点である、と考えられます。

その少し前に、少年犯罪やキレる子どもなど、

日本人の抑制力が落ちてきているのではないかというデータが出て、

脳の、情動や行動をコントロールする前頭前野に注目が集まっていました。

そこに、音読や簡単な計算によって前頭前野が活性化する、

それを続けることで認知機能の低下を予防できるという、

川島隆太・東北大学教授のデータが示されました。

こうした科学的な根拠が、ブームをしっかり下支えしたともいえるでしょう。

◆日本では、超高齢社会を迎えつつあります。
こうした社会的な要因も影響したのでしょうか。

ええ。そもそも音読や計算による「学習療法」は、高齢者層を対象にする治療法でしたから。

ところが、面白いことに、ゲームや日本語練習帳のユーザー層は、主に30〜40代だった。

強烈な不安に襲われ、突っ走ってしまったのでしょうか(笑い)。

最近、その辺りが一巡して、脳トレへの高齢者のニーズが高まってきています。

また、利便性の向上も、不安の背景にあるのかもしれません。

例えば、旅館に泊まる際、わずらわしい手続きは、

コンシェルジュ(総合接客係)に手伝ってもらうことができます。

パソコン上では、漢字を先読み変換してくれるので、文字を覚え、書く機会が減っています。脳を

鍛えるチャンスが失われているわけです。


しのはら・きくのり1960年、長野県生まれ。
専門は、健康教育学・脳システム論。テレビ番組で活躍中。
著書に『ボケない脳をつくる』(集英社)、
『頭を鍛える「活脳」トレーニング』(PHP研究所)など多数。

(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2007年08月21日(Tue)▲ページの先頭へ
■2■日本語■
「今度、彼の片棒を担いで会社を立ち上げることにしたよ」

「片棒を担ぐ」というのは、昔、駕籠かきが時に二人で相談して、

乗せた客の身ぐるみをはぐような悪事を働いたことから、

悪事に加担することのたとえとして用いられる言葉です。

例にあげたように、良いことに協力する意味ではふつう用いません。

ここは素直に、「彼と一緒に」とか「彼と協力して」のように言えばよいでしょう。

ちなみに同じ駕籠かきから出た言葉で、

人の手先になって働くことを「お先棒を担ぐ」と言いますが、

この言葉も良い意味では用いません。


「お宅の息子さん、おっとりしていて、さすが総領の甚六ですね」

どうやら息子をほめてもらっているようですね。

「総領の甚六」は、長男は大事に育てられるので、

弟や妹たちに比べておっとりしていることをいうもの。

ただし、お人好しで、利発さに欠けるといった、

からかいの意味合いが含まれ、ほめ言葉ではありません。

自分の子供を「どうも総領の甚六で困ったものです」のように謙遜して言うことはあっても、

面と向かって相手の子供を評して言えば礼を欠くことになります。

当の本人に言えば失礼になる言葉といえば、「玉の輿に乗る」もそうですね。

かつて身分制度のもと、家が優先で、

本人の意思とはかかわりないところで婚姻が行われていた時代に、

身分の低い女性が結婚によって富貴な身分になることを「玉の輿に乗る」と言いました。

身分が釣り合わないことを前提とした表現ですし、

多分に周囲のやっかみや侮蔑も感じられる言葉です。

単に良縁という意味ではありませんから、

花嫁に「玉の輿に乗ってよかったね」などと口が裂けても言ってはいけません。


悪い意味合いの言葉を良い場面で使って顰蹙を買ったり、

ほめたつもりが相手を怒らせてしまった、といったことがないように、

言葉のニュアンスには気を付けたいものですね。

西谷裕子 (辞典編集者)

(聖教新聞より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2007年08月19日(Sun)▲ページの先頭へ
■1■日本語■
言葉には文字通りの意味のほかに、

その言葉のもつ微妙な意味合い、ニュアンスというものがあります。

ニュアンスをしっかり理解していないととんだ誤解を招きかねません。

そんな例を取り上げました。

「今年は台風の当たり年だね」

例年より多く台風が来たときに、こんな言い方をするのをよく耳にします。

そもそも「当たり年」というのは、

作物がたくさんとれる年、豊作の年のことです。

そこから転じて、良いことが多い年の意味にも用いるようになりました。

「みかんの当たり年」

「今年は日本映画の当たり年だね」などと言うのならいいのですが、

台風が次から次へと来たのではうれしいはずはなく、

「台風の当たり年」と言うのは不適切ですね。


「部長、実家から松茸を猶ってきまして、ほんのお裾分けですがどうぞ」

もらい物をしたときに、

「お裾分け」といって他の人にその一部分をあげることがあります。

この「裾」は着物の下端部分のことです。

そこから末端にあって大切ではない物という意味になり、

下位の者に物を分け与えることを「お裾分け」と言うようになりました。

従って、親しい友人や目下の人に言うのはいいのですが、

目上の人に対して用いるのは適切ではありません。

この例の場合なら、「ほんの少しですがどうぞ」という言い方が自然でしょう。

西谷裕子 (辞典編集者)

(聖教新聞より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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2007年08月15日(Wed)▲ページの先頭へ
■3■寝たきり生活から音大へ 米良美一さん■
◆池に咲く大輪の蓮の花のように

「もののけ姫」が大ヒットしたのは27、8歳の時です。

しかし、その後数年、生活は荒れました。

障害があることで自分の人生は惨めだと思い込むようになり、

どんどん卑屈になっていったんです。

自分はかわいそうな人間、そんな自分を守ろうとした時、

外の人間はすべて敵に見えました。

しかし一番の敵は他でもない、自分であることに気づいたのです。

自分のすべてを受け入れ、前向きに生きていくしかない。

そう知ったのは30歳をすぎてからです。

これからは何があっても甘んじて受け入れ、

むしろ、そこから養分を吸い取って花を咲かせたい。

それは虫やばい菌がいっぱいいるような池で咲く大輪の蓮の花です。

そんな人生を送りたいと思っています。

声楽家 米良美一さん

(灯台8月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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