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  <title>♪ちょっといい話♪</title>
  <tagline>在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。</tagline> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/index.html" /> 
  <modified>2008-08-29T00:19:55</modified>
  <entry>
  <title>■3■青年教師の挑戦6■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/e/10583760.html" /> 
  <issued>2008-07-15T19:37:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		◆公開授業で発表できたY君<br />
　<br />
三年生になると、Y君のどもりは随分改善されたようでした。<br />
　<br />
また、どもっても言い直しができるようになりました。<br />
　<br />
道徳の地区公開授業で、私のクラスは、<br />
　<br />
ディスカッションをすることになったのですが、<br />
　<br />
Y君が手を挙げて自分の考えを堂々と発表してくれました。<br />
　<br />
クラスの皆が「オー」という驚きと賛同の声をあげました。<br />
　<br />
私は、思わず涙が出てきました。<br />
　<br />
「できた。しかも多くの方が見ているこんな場面で……」と、<br />
　<br />
大感動を覚えました。<br />
　<br />
卒業式を前にして振り返ると、<br />
　<br />
Y君は、一年生の時、二十一回もあった"爆発"が、<br />
　<br />
二年生の時には二回、三年生の時は、ついに○回でした。<br />
　<br />
すごい成長ぶりです。<br />
　<br />
卒業式の日に、Y君のお母さんからお手紙をいただきました。<br />
　<br />
「先生、三年間ありがとうございました。<br />
　<br />
先生は私たち家族にとって、<br />
　<br />
また、息子にとって太陽の存在でした」という、<br />
　<br />
感謝の言葉をいただきました。<br />
　<br />
私は、Y君に接することで、<br />
　<br />
教師として貴重な教育実践をさせていただきました。<br />
　<br />
彼との関わりを通して、私自身が教師として成長できたのです。<br />
　<br />
　<br />
(灯台より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
 <br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
 <br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
 <br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
 <br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
 <br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■青年教師の挑戦6■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/e/10577632.html" /> 
  <issued>2008-07-06T16:19:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		◆「何度失敗しても挑戦すればいいんだ」<br />
 <br />
私はY君に、「どんなに時間がかかっても、要するに分かればいいんだ。<br />
 <br />
人の二倍でダメなら、三倍やればいいんだ。<br />
 <br />
何度失敗しても、また挑戦すればいいんだよ」と、<br />
 <br />
肯定的な指導をすることにしました。<br />
 <br />
Y君がキレて落ち込んだ時でも、「前の時より早く落ち着けたね。<br />
 <br />
すごいね。頑張ったね」と、とにかくほめて、自信と希望を持たせました。<br />
 <br />
お母さんには、「Y君は勉強が苦手なだけですから、<br />
 <br />
とにかく一緒に少しずつ課題に取り組んで、できたらほめて、<br />
 <br />
自信を持たせてください」とお願いしました。<br />
 <br />
一方、クラスの子どもたちには、<br />
 <br />
「人が気にしていることを絶対に言ってはいけない。<br />
 <br />
まして、どもってしまうことや、失敗した時、そのことを言ったり、<br />
 <br />
まねをしたりしてはいけない。<br />
 <br />
また、Y君が暴力行為をしたら、必ず止めてほしい。<br />
 <br />
それと同時に、他の者がすぐに先生に連絡に来てほしい」と話しました。<br />
 <br />
皆、素直に聞いてくれました。<br />
 <br />
こうして五月中旬頃から、クラスの子どもたちの意識は変わり始めました。<br />
 <br />
Y君をキレさせない環境ができていったのです。<br />
 <br />
<br />
◆運動会や文化祭で成長するY君<br />
　<br />
五月の運動会の大ムカデ競争では、Y君はリズムがつかめませんでした。<br />
　<br />
予行演習では、他のクラスに校庭一周の大差をつけられてしまいました。<br />
　<br />
私は、みんなと話し合って、目標を完走にしました。<br />
　<br />
Y君には、「カが強いから君はクラスの先頭で、<br />
　<br />
機関車をやってくれないか?」と頼みました。<br />
　<br />
迎えた本番当日。<br />
　<br />
あの遅かったうちのクラスが、トップとの差は<br />
　<br />
約半周になるほど速くなっていました。<br />
　<br />
先にゴールした相手のクラスも、二、三年生の先輩も、<br />
　<br />
保護者の方も、私も彼らに声援を送り、一緒に走りました。<br />
　<br />
大感動のゴールでした。<br />
　<br />
二学期、文化祭の学年合唱では、<br />
　<br />
楽譜が分からないY君に耳で覚えさせようと、<br />
　<br />
朝の学活、給食の時間、帰りの学活など、<br />
　<br />
テープを何回も聞かせました。<br />
　<br />
当日はいい顔で歌ってくれました。<br />
　<br />
この頃から、私の指導は、次の段階へと進みました。<br />
　<br />
Y君に対して、「どもってしまっても、また言い直せばいいじゃないか。<br />
　<br />
誰でも失敗した後が大事なんだよ」と<br />
　<br />
話しました。Y君は、失敗しても、<br />
　<br />
立ち直りが早くなりました。<br />
　<br />
(灯台より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
 <br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
 <br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
 <br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
 <br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
 <br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
　
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■青年教師の挑戦6■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/e/10575171.html" /> 
  <issued>2008-07-02T19:07:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		◆新しい学校で決意も新たに<br />
 <br />
教職七年目に中学校の一年生のクラス担任となりました。<br />
 <br />
学習障害については研修で聞いたことがある程度で、<br />
 <br />
どこか遠い話のように思っていました。<br />
 <br />
ところが、入学して二日目の給食の準備中、<br />
 <br />
その問題にいきなり直面しました。<br />
 <br />
「ウォー」という大きな声を突然、学習障害児であるY君が発したのです。<br />
 <br />
これが最初の"爆発"でした。<br />
 <br />
大声の次には、全身から汗と目から大粒の涙が流れ出てきました。<br />
 <br />
目つきも細く、どこを見ているのか分からない目になり、<br />
 <br />
話しかけようとすればするほど、よけいに興奮するのです。<br />
 <br />
二回目の"爆発"は、二週間後、<br />
 <br />
一泊二日の宿泊行事の最中に起こりました。<br />
 <br />
どもったY君に、「何を言ってるのか分からない」と言った子がいました。<br />
 <br />
その瞬間、Y君は例の状態になってしまったのです。<br />
 <br />
この時は、その子に殴りかかろうとしましたが、<br />
 <br />
周りの子どもたちが一斉にY君を押えてくれたので、事なきを得ました。<br />
 <br />
◆「先生、ぼく変わりたい」<br />
　<br />
Y君は、小学校では泣き叫ぶだけだったのに、<br />
　<br />
中学校では相手に向かっていくようになったのです。<br />
　<br />
そんなY君を見ているうちに、私は、「Y君のために何とかしたい。<br />
　<br />
Y君のために、私はこの学校へ来たんだ」と考え、<br />
　<br />
「絶対に治してみせる」と決意しました。<br />
　<br />
まず、Y君とじっくり話し合いました。<br />
　<br />
「どんなことがあっても、暴力はいけない。<br />
　<br />
相手にけがをさせる危険がある」と話しました。<br />
　<br />
するとY君は、「自分では、どうすることもできない。キレている<br />
　<br />
時のことは、あまり覚えていない。<br />
　<br />
でも、ぼく変わりたい」と話してくれました。<br />
　<br />
私は思わず、一緒に変わろう」と言うと、大きくうなずくY君でした。<br />
　<br />
私は、「そのためだったら、何でもするよ」と彼に約束しました。<br />
　<br />
次に、お母さんと面談をしました。<br />
　<br />
その後、お母さんはY君を連れて専門機関で受診をしてくれました。<br />
　<br />
診断は「図形を正しく認識することができない。<br />
　<br />
軽度の吃音(どもり)。不器用である」また、「これによって国語、<br />
　<br />
数学、英語、社会などの理解に苦しんでいる」ことが分かりました。<br />
　<br />
(灯台より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
 <br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
 <br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
 <br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
 <br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
 <br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
　
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■いっこく堂「いじめに耐えた中学時代」■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10570872.html" /> 
  <issued>2008-06-25T19:03:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		◆いったい自分は何がしたいのか<br />
 <br />
そして高校入学。<br />
 <br />
同級生と打ち解けたい一心で、ものまねを披露したら、<br />
 <br />
とても受けたんです。<br />
 <br />
最初は、竹中直人さんがやる草刈正雄さんのものまね。<br />
 <br />
どんどんものまねのレパートリーを増やしていきました。<br />
 <br />
そして野球選手になることが、<br />
 <br />
体力的にも技術的にも難しいと気付くようになった頃、<br />
 <br />
新たに見つけた夢は、役者になることでした。<br />
 <br />
テレビで『池中玄太80キロ』を見て、西田敏行さんのように、<br />
 <br />
おもしろく、ほんわかさせて、泣かせる役者さんになりたい。<br />
 <br />
そう思うようになりました。<br />
 <br />
夢に向かって、今できることを自分なりに考えた僕は、<br />
 <br />
どんどん人前に出るようにしたんです。<br />
 <br />
高校三年生の時には、テレビのものまね番組に出ました。<br />
 <br />
あれよあれよという間に本選で優勝しました。<br />
 <br />
その時は、役者の夢がグッと近づいたように感じましたね。<br />
 <br />
そして高校卒業と同時に役者をめざして上京。<br />
 <br />
日本映画学校に入学したのですが、おもしろくなくて、<br />
 <br />
三ヵ月で退学しました。<br />
 <br />
その後、テレビの『笑ってる場合ですよ!』で、<br />
 <br />
ものまねチャンピオンにもなりました。<br />
 <br />
でも、これが本当に自分のやりたいことなのか疑問に思い、<br />
 <br />
それからは目標を見失って、逃げるように沖縄に帰りました。<br />
 <br />
いったい自分は何がしたいのか、必死に答えを探しつづけ、<br />
 <br />
二十一歳で再び上京して劇団民藝に入団。<br />
 <br />
昼間は劇団で稽古をして、夜はアルバイトに出かける、<br />
 <br />
という生活がスタートしました。<br />
 <br />
でも、笑いの取れる芝居がしたかった僕は、<br />
 <br />
役者をやっていても楽しくない。<br />
 <br />
劇団の方向性ともどんどん合わなくなってしまって……。<br />
 <br />
自分はやっぱり役者に向いていないのか、と悩んでいたある日、<br />
 <br />
たまたま劇団の宴会でものまねを披露。<br />
 <br />
その時、ベテラン俳優の米倉斉加年さんから、<br />
 <br />
「おまえは一人でやってる時のほうが生き生きとしているから、<br />
 <br />
役者じゃなく、一人でやってみたら」とアドバイスされたんです。<br />
 <br />
そのひと言に背中を押され、<br />
 <br />
漫談などの一人の芸にいろいろチャレンジしました。<br />
 <br />
そんななかで、小学生の頃にテレビで見た腹話術を思い出し、<br />
 <br />
独学で鏡の前で練習するようになったんです。<br />
 <br />
やっぱり人それぞれに向き不向きがあるんだと思いますね。<br />
 <br />
人を楽しませる手段はいくつかあるけど、僕にとってそれは腹話術師でした。<br />
 <br />
いろいろ回り道もしましたが、ものまねや役者の経験も、<br />
 <br />
腹話術の芸に生きていると考えると、<br />
 <br />
なにひとつ無駄なことはありませんでした。<br />
 <br />
誰にもまだ発揮されていない能力があり、<br />
 <br />
その力を発揮さえすれば夢は叶うんだと、実感しています。(談)<br />
 <br />
いっこく堂●1963年、沖縄県出身。本名・玉城一石。<br />
高校卒業後、上京。86年、劇団民藝1こ入団。<br />
92年から、独学で腹話.術を学び始める。<br />
98年、「OWARAIゴールドラッシュ」で優勝したのをきっかけに、<br />
さまざまな声色を使い分ける独自の芸風が話題に。<br />
99年、文化庁芸術祭新人賞を受賞。<br />
全米ツアーでの英語公演や、中国・上海国際芸術祭での中国語公演など、<br />
堪能な語学力で国際的にも活躍している。<br />
http;〃wwwjkkokudou.com/<br />
 <br />
 <br />
(灯台7月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
 <br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
 <br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
 <br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
 <br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
 <br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■いっこく堂「いじめに耐えた中学時代」■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10568454.html" /> 
  <issued>2008-06-21T17:28:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		いじめに耐えた中学時代<br />
 <br />
両親は沖縄出身なんですが、神奈川のタイヤ工場に一家で働きに来ていて、<br />
 <br />
僕が五歳の時に、コザ市(現在の沖縄市)の借家に引っ越すことになりました。<br />
 <br />
家族で海を渡ったのを覚えています。<br />
 <br />
地元の子どもたちは、僕が関東の言葉を使うのが気に入らなかったようで、<br />
 <br />
「お前、変なしゃべり方だな」と、石を投げられました。<br />
 <br />
そして、あっと言う間に取っ組み合いの喧嘩が始まって、<br />
 <br />
散々転げまわった末に、相手の子から「お前、根性あるな」と言われて、<br />
 <br />
すっかり仲良くなりました。<br />
 <br />
その頃の僕は、どちらかというと、人見知りをしない明るい子。<br />
 <br />
沖縄の自然に阻まれながら、のびのびと過こすことができました。<br />
 <br />
そんな性格が変わったのは中学一年の夏。<br />
 <br />
当時、プロ野球選手を夢みていた僕は、野球部に入っていましたが、<br />
 <br />
ちょっとした行き違いから、<br />
 <br />
チームメイトの悪口を言っていると勘違いされて、<br />
 <br />
「一石と話をするなよ」という話が野球部からクラスに広がり、<br />
 <br />
しまいには学年全体に広がってしまったんです。<br />
 <br />
野球は好きだったので野球部を退部することはしませんでしたが、<br />
 <br />
クラスでも、部活でも、話す相手がいない。<br />
 <br />
ひと言も口をきかずに家に帰ることもありました。<br />
 <br />
それでも、自分がいじめにあっていることを<br />
 <br />
両親に相談することはできませんでした。<br />
 <br />
心配をかけたくないという気持ちが強かったんです。<br />
 <br />
そして、中学卒業までの二年半、<br />
 <br />
いじめがなくなることはありませんでした。<br />
 <br />
救いだったのは、僕は家族と仲が良かったということ。<br />
 <br />
家に帰れば、年の離れた弟の子守という役目があったんです。<br />
 <br />
僕を必要としてくれる存在がいて、<br />
 <br />
ちゃんと僕のための居場所がありました。<br />
 <br />
それに、家の近所には特殊学級(現在の特別支援学級)に<br />
 <br />
通う友だちが住んでいて、<br />
 <br />
彼らが今までと変わらない態度で接してくれたので、<br />
 <br />
学校でのいじめにも追い詰められずにすんだのだと思います。<br />
 <br />
「高校に入ったら絶対に自分は変わるんだ」。<br />
 <br />
そう言い聞かせて、自分のなかに明るいエネルギーを<br />
 <br />
ため込んでいたように思います。<br />
 <br />
いっこく堂●1963年、沖縄県出身。本名・玉城一石。<br />
高校卒業後、上京。86年、劇団民藝1こ入団。<br />
92年から、独学で腹話.術を学び始める。<br />
98年、「OWARAIゴールドラッシュ」で優勝したのをきっかけに、<br />
さまざまな声色を使い分ける独自の芸風が話題に。<br />
99年、文化庁芸術祭新人賞を受賞。<br />
全米ツアーでの英語公演や、中国・上海国際芸術祭での中国語公演など、<br />
堪能な語学力で国際的にも活躍している。<br />
http;〃wwwjkkokudou.com/<br />
<br />
(灯台7月号より)<br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■■アルツハイマー病と砂糖■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/d/10566071.html" /> 
  <issued>2008-06-17T19:37:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		アルツハイマー病、米国で動物実験<br />
　<br />
砂糖摂取量を減らせば発症リスクの低下にも<br />
　<br />
まず、岩手大学の学生の話を紹介したい。<br />
　<br />
「痴ほう(当時の言葉)が進んできた祖母が菓子をほしがり、<br />
　<br />
ひ孫の分までとり上げて食べるようになったので、<br />
　<br />
母が心配し、菓子類を家に置かないようになりました。<br />
　<br />
それ以来、痴ほうの進行はストップしています」<br />
　<br />
この報告は、日常生活の単なるエピソードのように感じられるが、<br />
　<br />
実に重要な意味を含んでいる。<br />
　<br />
食生活から精製糖を取り除くことで、<br />
　<br />
認知症の進行を止められるかもしれないという、<br />
　<br />
実験で検証可能な仮説を示唆しているのである。<br />
　<br />
次に、米国のアラバマ大学医学部の<br />
　<br />
ドンフェン・ツァオらによる動物実験の報告をとりあげたい。<br />
　<br />
これは昨年12月、『生物化学雑誌』に発表されたものである。<br />
　<br />
彼らは、砂糖を多く摂取することが、<br />
　<br />
脳にどのような影響を与えるかについて実験した。<br />
　<br />
ネズミにエサをやる際、通常のエサに加え、<br />
　<br />
10%の砂糖水を与えた場合と、<br />
　<br />
普通の水を与えた場合を比較したのである。<br />
　<br />
25週間続けた結果、砂糖水を飲んだネズミは、<br />
　<br />
水を飲んだネズミに比べ、体重が17%増加した。<br />
　<br />
また、砂糖水を飲んだネズミは、<br />
　<br />
糖尿病の初期症状-耐糖能異常と高インスリン血症-を示した。<br />
　<br />
行動テストをしてみると、砂糖水を飲んだネズミには、<br />
　<br />
学習能力と記憶力にかなりの低下が見られた。<br />
　<br />
また、その脳内では、アルッハイマー病の特徴である、<br />
　<br />
アミロイド斑(アミロイドと呼ばれるタンパク質の沈着)と<br />
　<br />
神経原線維変化(神経細胞内の線維が複雑にからまる病理変化)の<br />
　<br />
形成を促進する、アミロイド・タンパク質のレベルと蓄積が、<br />
　<br />
2〜3倍増加したという。<br />
　<br />
さらに、脳のアボリポタンパク質Eの値が2.5倍の増加を示したが、<br />
　<br />
これは脳内のアミロイドの蓄積につながる。<br />
　<br />
このような結果から、ドンフェン・ツァオら研究者は、<br />
　<br />
砂糖入りの甘味飲料の摂取量を減らすことが、<br />
　<br />
アルツハイマー病の発症リスクを低下させる効果的な方法ではないか、<br />
　<br />
と結論付けている。<br />
　<br />
これまで、私のとりあげてきた資料等とも一致する重大な知見である。<br />
　<br />
それは同時に、現代人の食生活に対する警鐘であるといえよう。<br />
　<br />
岩手大学名誉教授  大沢博<br />
　<br />
(聖教新聞より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■映画「敵こそ、我が友」■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/a/10559339.html" /> 
  <issued>2008-06-07T20:16:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		一方、同時期にはキューバで共産主義革命が成功、<br />
 <br />
大臣をつとめた後のチェ・ゲバラがボリビアでゲリラ活動を始める。<br />
 <br />
バルビーは米情報局と連携し、ゲバラの殺害計画を立案する。<br />
 <br />
殺害が成功すると、ゲバラより15歳も上の世代だったバルビーは言い残す。<br />
 <br />
「第2次世界大戦を戦っていたらこんな男はとっくに戦死していた。<br />
 <br />
惨めな冒険主義者にすぎない。マスコミがつくりあげた偶像だ」<br />
 <br />
そんなバルビーの順風生活は長くはつづかなかった。<br />
 <br />
彼のあからさまな活動がユダヤ人組織の目にとまり、<br />
 <br />
「ナチ・ハンター」のク夫妻らから告発される。<br />
 <br />
戦犯として国際社会から厳しい追及を受けることに。<br />
 <br />
83年にボリビアからフランスに護送され、<br />
 <br />
通称「バルビー裁判」と呼ばれる戦犯法廷の被告人席に座らされた。<br />
 <br />
同国では死刑制度が廃止されており、最高刑の終身刑となった。<br />
 <br />
91年、がんに蝕まれリヨンで獄死する。<br />
 <br />
映画はいくつかの場面が時代順に追われる。<br />
 <br />
1、ナチスのゲシュタポ時代<br />
 <br />
2、米工作員として働いた欧州時代<br />
 <br />
3、南米での逃亡・活動<br />
 <br />
4、フランスでの戦犯追及<br />
 <br />
作品はすべて当事者の証言(インタビューしたもの)と歴史的映像を使って構成。<br />
 <br />
裁判では、ベトナム系フランス人の弁護士が<br />
 <br />
バルビーを熱心に弁護する様子も生々しい映像で迫ってくる。<br />
 <br />
だが、87年7月3日、裁判官と陪審員は「終身刑」の判決を言い渡した。<br />
 <br />
バルビーの残した言葉が紹介されている。<br />
 <br />
「(拷問や殺人のために雇うなど)あなた方全員が私を必要としたのに、<br />
 <br />
裁かれるのは私ひとり。そこに偽善がある」<br />
 <br />
「国家悪」を根本から問いかける象徴的な場面である。<br />
 <br />
ナチス時代に生き、そこで身につけた能力を反共主義の闘争のために<br />
 <br />
利用された本人の、それは精一杯の言い訳の言葉であったろう。<br />
 <br />
わが国では戦中、ほとんどの作家や言論人が軍部に迎合したものの、<br />
 <br />
一転、戦後は不問に付された。<br />
 <br />
戦後、『国家悪』の大著を記した経済学者の故・大熊信行創価大学教授は、<br />
 <br />
国家悪の根は「人間の内面」にあると喝破し、<br />
 <br />
単なる政治学では平和を享受する国家は確立できないと主張した。<br />
 <br />
「人間の内面」を変革する方法、<br />
 <br />
それこそ正しき宗教の役割であることを思い起こさせる。(ジャーナリスト)<br />
 <br />
●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。<br />
 <br />
詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/<br />
<br />
柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。<br />
著書に『カンボジアPKO体験記』など。<br />
<br />
(聖教新聞より)<br />
 <br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■映画「敵こそ、我が友」■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/a/10557962.html" /> 
  <issued>2008-06-05T18:45:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		ドキュメンタリー映画「敵こそ、我が友」<br />
<br />
ナチ戦犯を題材に「国家悪」描く<br />
裁判であぶり出された"内面の闇"<br />
　<br />
 <br />
2005年に96歳で死去したサイモン・ウィーゼンタールは<br />
 <br />
「ナチ・ハンター」の一人として、<br />
 <br />
米ロサンゼルスに自身の名を冠する<br />
 <br />
「サイモン・ウィーゼンタール・センター」を設立した。<br />
 <br />
国や団体を問わずわずかな「ナチ擁護」も許さず、<br />
 <br />
戦犯追跡にかかわった人数は4ケタにのぼる。<br />
 <br />
この7月に封切り予定のフランス映画『敵こそ、我が友』は、<br />
 <br />
同じようにナチ・ハンターとして知られる<br />
 <br />
クラルスフェルト夫妻(フランス)の告発で捕まった大物戦犯<br />
 <br />
クラウス・バルビー(1913〜91)を主人公にしたドキュメンタリー映画である。<br />
 <br />
バルビーは、第2次大戦中、ドイツ軍が占領した<br />
 <br />
仏リヨン市でレジスタンス運動を取り締まるゲシュタポの責任者として、<br />
 <br />
「リヨンの虐殺者」との悪名を広げた人物。<br />
 <br />
映画でも、拷間相手の歯をペンチでへし折ったなどの<br />
 <br />
被害者らの生々しい証言が相次ぐ。<br />
 <br />
ナチスドイツの心酔者で、<br />
 <br />
粗暴で残忍な性格だったバルビーは戦後、<br />
 <br />
多くのナチ戦犯と同様に、名を変えて逃亡をつづけた。<br />
 <br />
時代は、東西冷戦へと移る。<br />
 <br />
ナチ時代に身につけた拷問や尋聞のノゥハウ、<br />
 <br />
反共産思想に目をつけたのが、西側の指導国ともいえる米国だった。<br />
 <br />
バルビーは、欧州全体の「反共産運動」のために"有用"な工作員として、<br />
 <br />
米国情報局によって雇われ、同時にかくまわれた。<br />
 <br />
そうしてナチ戦犯の追及から逃れつづけた。<br />
 <br />
それでも抗しきれなくなると、米側は南米へ逃亡ルートを開いて救った。<br />
 <br />
「クラウス・アルトマン」という変名のパスポートを作成。<br />
 <br />
バルビーは南米一帯に散らばっていたナチス残党の中心者として、<br />
 <br />
武器の密輸や情報収集にあたった。<br />
 <br />
生活の拠点であったボリビアに武器取引会社を設立、<br />
 <br />
巨万の富を得るまでに成功する。<br />
 <br />
●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。<br />
 <br />
詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/<br />
 <br />
柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。<br />
著書に『カンボジアPKO体験記』など。<br />
 <br />
(聖教新聞より)<br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■■糖分の過剰摂取と認知症の関係■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/d/10555141.html" /> 
  <issued>2008-06-01T13:58:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		代表的な認知症といえば、アルツハイマー病である。<br />
 <br />
2004年、『よくわかるアルツハイマー病』<br />
 <br />
(中野今治・水澤英洋編、永井書店)が出版された。<br />
 <br />
その中に「アルツハイマー病と食事」という章タイトルで、<br />
 <br />
高インスリン症に関する記述があった。<br />
 <br />
「患者の食行動異常には、糖分特に精製された砂糖の過剰摂取が極めて目立つ。<br />
 <br />
具体的には、アメを1日中なめる、<br />
 <br />
おはぎや大福なら五個くらいは平気で食べてしまう。<br />
 <br />
コーヒーに砂糖をスプーンで3〜4杯入れてしまう。<br />
 <br />
アイスクリームを1日に5〜6本食べてしまうなどである」と。<br />
 <br />
執筆者の植木彰・自治医大教授は、<br />
 <br />
2006年に「アルツハイマー病と栄養」という論文を発表した。<br />
 <br />
その論文では「患者は極めて甘いものに対する嗜好が強い。<br />
 <br />
インスリン分泌を強く促す精製糖の過剰摂取を抑えることが重要と考える」との、<br />
 <br />
興味深い提言を行っている。<br />
 <br />
今からさかのぼること9年前、<br />
 <br />
私は『ある日突然、妻が痴ほう症になった』(大和書房)という1冊を購入した。<br />
 <br />
この本の書き出しは大要、次のようなものであった。<br />
 <br />
51歳の妻がある日、確か4つは入っていたケーキの箱を空にしてしまった。<br />
 <br />
娘が聞いても、あいまいな返事しか戻ってこない。<br />
 <br />
この時は、彼女がまさか、痴ほう(当時の言葉)だとは思わなかった。<br />
 <br />
本書の中で、私が注目したのは<br />
 <br />
「もともとケーキは妻の好物でした」との記述であった。<br />
 <br />
その後、半年の間に、体重の激減をはじめ、妻の身体に大きな変化が生じた。<br />
 <br />
そして、物忘れが始まったという。<br />
 <br />
失踪、俳徊、失語症など、アルツハイマー病の症状が彼女を襲ったのだ。<br />
 <br />
夫は、妻の今の好物も書いている。<br />
 <br />
パパイアやジュースなど……。<br />
 <br />
妻はケーキとコーヒーが大好きだったことから、<br />
 <br />
ヘルパーを交え、3人で"お茶の時間"を楽しむことがあるという。<br />
 <br />
その際、妻のコーヒーはミルクたっぷりのもの、<br />
 <br />
生クリームケーキをビックリするほど、よく食べるそうだ。<br />
 <br />
言うまでもなく、糖分の取り過ぎである。<br />
 <br />
認知症の例を聞くにつけ、その恐ろしさが感じられてならない。<br />
 <br />
岩手大学名誉教授  大沢博<br />
 <br />
(聖教新聞より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■■千人の命を救う■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/a/10553599.html" /> 
  <issued>2008-05-29T21:36:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		千人の命を救う<br />
　<br />
江戸時代中期の産科医で、賀川玄悦という人物がいる。<br />
　<br />
そんな時代に、男性の産科医がいたのかと、意外に思うかもしれない。<br />
　<br />
でも産科の専門医というのは、人数はわずかだが、<br />
　<br />
実は平安時代から存在していた。<br />
　<br />
ただ、お産は、たいがい産婆が手がけ、<br />
　<br />
難産による死亡率は、かなり高かった。<br />
　<br />
たとえば逆子で、赤ちゃんが外に出てこられずに死んでしまうと、<br />
　<br />
母体も死を待つだけだった。<br />
　<br />
数字が記録として残っていないので、正確にはわからないが、<br />
　<br />
現在、帝王切開は約二割。<br />
　<br />
そこから単純に推定すると、放っておけば二割が難産になり、<br />
　<br />
そのまた何割かは死に至ったのだろう。<br />
　<br />
まさにお産は、男が戦場におもむくのと、同じ覚悟が必要だった。<br />
　<br />
賀川玄悦は、こういった場合に、日本で初めて外科的処置を行ない、<br />
　<br />
母体の命を救った人物だ。<br />
　<br />
もとは近江の生まれだが、京都に出て、鍼や按摩によって、<br />
　<br />
貧しい人々の病気治療をしていた。<br />
　<br />
だがそれだけでは食べていかれず、古鉄の回収業もしていた。<br />
　<br />
四十歳の時、隣の家で難産があり、母体が死に瀕した。<br />
　<br />
玄悦はこれを哀れみ、ひと晩、考えた末、商売ものの鉄鉤を使って、<br />
　<br />
死んだ胎児を取り出し、母体を助けたのだ。<br />
　<br />
以来、千人の産婦を助けたいと誓いを立てた。<br />
　<br />
だが現代の臓器移植と同じように、玄悦の処置も、社会的に大反発を受けた。<br />
　<br />
また特に女性の性に関わることだけに、白い目で見られたことだろう。<br />
　<br />
彼の生涯は、偏見との戦いだったにちがいない。<br />
　<br />
それでも次第に理解され、入門する弟子も増えて、<br />
　<br />
晩年には産科術の専門書を出版するに至った。<br />
　<br />
玄悦の死後も、賀川流産科術は代々隆盛を極め、<br />
　<br />
明治になって西洋医学が導入されるまでに、弟子は二千人に及んだ。<br />
　<br />
玄悦は触診や内診を、日本で初めて行なった医者でもあり、<br />
　<br />
それによって胎児が頭を下にしていることに気づいた。<br />
　<br />
当時は胎児の頭は上向きと信じられていたのだ。<br />
　<br />
これはイギリスのスメリーという産科医と、ほぼ同時期の発見で、<br />
　<br />
世界に先駆けた大発見だった。<br />
　<br />
玄悦は日本が世界に誇るべき人物なのだ。<br />
　<br />
彼の唯一の楽しみは、毎年冬が来る前に、家のない子供たちのために、<br />
　<br />
綿入れの着物を配って歩くことだったという。<br />
　<br />
私は、こんな人物を、もっと知ってもらいたいと願ってやまない。<br />
　<br />
植松三十里<br />
1954年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業後、<br />
出版社勤務などを経て渡米。<br />
80年「ハドル・アンド・ブレイク」で集英社青春小説新人賞佳作入選。<br />
専業主婦のかたわら季刊日本語新聞「ひまつぶ新報」を発行。<br />
2002年、「まれびと奇談」で第13回九州さが大衆文学賞佳作入選。<br />
03年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞し、<br />
これに「燃えたぎる石」を併載して『桑港にて』を刊行。<br />
他の作品に『黍の花ゆれる』『千の命』『天璋院と和宮』などがある。<br />
<br />
(第三文明4月号より)<br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■3■青年教師の挑戦5■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/e/10549735.html" /> 
  <issued>2008-05-23T21:03:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆クラスに団結が生まれる<br /><br /><br />
　<br />
この集いを開催する条件は、ニつありました。<br />
　<br />
一つは、必ず全員を誘うこと、<br />
　<br />
もう一つは、参加を強制しないということです。<br />
　<br />
この試みは、クラスの雰囲気を変えるきっかけにもなりました。<br />
　<br />
子どもたちは友だちが学枚を休むと、<br />
　<br />
私が何を言わなくても皆でお見舞いに足を運んだりしました。<br />
　<br />
また、欠席したクラスメイトが登校した朝には、<br />
　<br />
皆が激励の声をかけるようになっていきました。<br />
　<br />
気がつくと、私のクラスは大きく変化していました。<br />
　<br />
クラスから不登校の子どもやいじめはなくなつていました。<br />
　<br />
団結がありました。<br />
　<br />
子ビもたちは、運動会の組体操では<br />
　<br />
「全ての技を完成したいから休み時間にみんなで体育館集合ね!」と<br />
　<br />
声をかけ合って練習したり、<br />
　<br />
音楽会では「音が合っていないから残って合奏の練習をしよう!」と<br />
　<br />
助け合ったりするようになっていました。<br />
　<br />
<br /><br />◆再び卒業生と<br /><br /><br />
　<br />
彼らが卒業した後、私は他校へ異動となりました。<br />
　<br />
離任式の日、中学一年生になっていた子どもたちが、<br />
　<br />
私の異動を聞きつけて小学校の校庭に集合し、<br />
　<br />
再び、あの「夢の遊園地」を開催したのです。<br />
　<br />
あの頃と同じように、私は子どもたちと思いっきり遊びました。<br />
　<br />
私のスーツや靴は泥だらけになりました。<br />
　<br />
暗くなって遊べなくなると、皆が私のために、<br />
　<br />
卒業式で歌った歌や中学で習い始めた歌を歌ってくれました。<br />
　<br />
肩を組みながら、私も一緒に何度も何度も大きな声で歌いました。<br />
　<br />
最後に、子ビもたちは私のために花束を贈ってくれました。<br />
　<br />
私は涙があふれてきました。<br />
　<br />
この様子を傍らで見守っていた保護者の皆さんやPTA全長、<br />
　<br />
カウンセラー、職員の方々から、「今日は本当に感動しました」<br />
　<br />
「教育の原点を見ました」と声をかけていただきました。<br />
　<br />
この二年間、祈り、挑戦したことが全て無駄ではなかった、<br />
　<br />
意味があったんだ、と心から感動しました。<br />
　<br />
この感動を胸に、ますます情熱を燃やして、<br />
　<br />
新たに出会う子どもたちのために奮闘しよう、<br />
　<br />
と決意する毎日です。<br />
　<br />
(灯台5月号より)<br />
　　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■青年教師の挑戦5■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/e/10545744.html" /> 
  <issued>2008-05-18T17:05:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆クラス全員が一緒に遊ぶ<br /><br /><br />
　<br />
新学期が始まって　一ヵ月経った時、<br />
　<br />
いじめられることのあったAくんが私に声をかけてくれました。<br />
　<br />
「先生、Bさんが今度の土曜日にディズ二−ランドに行くんだって〜、<br />
　<br />
行ったことがないから行ってみたいな〜」　というのです。<br />
　<br />
担任になった時からAくんのことを気にかけていた私は、<br />
　<br />
「これはチャンスだ」と思いました。<br />
　<br />
″Aくんに感動を与えたい、自信をつけさせたい″と願っていた私は、<br />
　<br />
「ディズニーランドよりも面白い夢の遊園地があるから行く？」と<br />
　<br />
Aくんに声をかけてみました。<br />
　<br />
Aくんは「行きたい!」と即答してくれました。<br />
　<br />
この「夢の遊園地」とは、<br />
　<br />
学校の校庭で私と遊ぶことをとっさに思いついて言った言葉です。<br />
　<br />
その時、Aくんに一つの課題を出しました。<br />
　<br />
それは″友人を五人以上連れてくること″です。<br />
　<br />
数日後、友だちを誘うことが苦手だったAくんは勇気を振り絞り、<br />
　<br />
六人の友だちを連れてきました。<br />
　<br />
私は、Aくんの頑張りに応えてあげたいと思い、<br />
　<br />
その六人と思いっきり遊びました。<br />
　<br />
遊んだ後に、体育館の裏で「校庭を借り切って遊べて最高だね」と、<br />
　<br />
生き生きとした表情で色々なことを話しながら、<br />
　<br />
用意していたお菓子を一緒に食べました。<br />
　<br />
勇気を出したAくんに変化が出始めたのは、この頃からでした。<br />
　<br />
参加した六人の中に、<br />
　<br />
クラスの中心的な存在であったCくんがいたのです。<br />
　<br />
これがきっかけとなって、AくんはCくんと仲良くなり、<br />
　<br />
Cくんの良いところを真似するようになりました。<br />
　<br />
授業の聞き方がよくなり、<br />
　<br />
Cくんの影響を受け、学力も向上していきました。<br />
　<br />
Aくんは「来月もやろう!」と私に提案をしてきました。<br />
　<br />
ニ回目は、10人以上が参加しました。<br />
　<br />
それ以降、わがクラスの毎月の恒例行事となり、<br />
　<br />
半年後にはなんとクラス全員が参加するようになりました。<br />
　<br />
そして、子ピもたちが家に帰って楽しそうに語ったのか、<br />
　<br />
いつしか保護者がピザを持ってきてくださったり、<br />
　<br />
ある時は、ざるそばを持ってきてくださったりと、<br />
　<br />
協カし、支えてくださるようになったのです。<br />
　<br />
休日に出勤していた枚長先生が参加したこともありました。<br />
　<br />
ジャ−ジ姿に着替えて校庭に出てきた枚長先生に、<br />
　<br />
みんなで水風船をぶつけたりもしました。<br />
　<br />
校長先生も、子どもたち一人ひとりと真剣に遊んでくださいました。<br />
　　<br />
(灯台5月号より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■青年教師の挑戦5■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/e/10542829.html" /> 
  <issued>2008-05-13T19:26:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆新学期に新任時代の決意を思い返す<br /><br /><br />
　<br />
教員生活三年目、新しく小学五年生の担任になった時、<br />
　<br />
私の教師としての転機がやってきました。<br />
　<br />
いじめられている子がいたり、<br />
　<br />
不登校ぎみの子がいたり、<br />
　<br />
男女の仲が悪い、<br />
　<br />
などという前評判のあるクラスを<br />
　<br />
受け持つこととなったからです。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
私は、「教師は最大の教育環境である」<br />
　<br />
「l人を大切に!」と語る池田先生に薫陶を受けた教師として、<br />
　<br />
新任時代の決意を思い返し、<br />
　<br />
「全てを乗り越えて、<br />
　<br />
子どもたちと共に成長しよう!」と心に誓いました。<br />
　<br />
毎朝、クラス全員の名簿を開き、<br />
　<br />
子どもたちの顔を思い浮かべながら<br />
　<br />
「無事故で一日が終わりますように」<br />
　<br />
「一人ももれなく成長しますように」<br />
　<br />
「クラス全員が団結できますように」と祈りながら、<br />
　<br />
一日をスタートしました。同時に、<br />
　<br />
自分白身が「大きな大きな心で子どもたちを<br />
　<br />
包み込める心をもてるように」<br />
　<br />
「同僚の先生や保護者の方にも信頼されるように」<br />
　<br />
と決意しました。<br />
　<br />
授業中はもとより、登枚時、休み時間、給食、<br />
　<br />
掃除、放課後などの時間も、<br />
　<br />
積極均に自分から子どもたちに<br />
　<br />
声をかけながら接していきました。<br />
　<br />
(灯台5月号より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■3■卒乳■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10541247.html" /> 
  <issued>2008-05-10T21:07:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆必ず自立する年齢が来る<br /><br /><br />
　<br />
香川県三木町（会社員．30歳）<br />
　<br />
上の子が1歳半のころ卒乳を考えました。<br />
　<br />
でもその″動機″は、「ごはんを思うように食べてくれない」　<br />
　<br />
「夜中に何度も起こされる」など、親の都合でした。<br />
　<br />
そのためか、すぐ親の私が挫折し、何度も失敗。<br />
　<br />
結局、下の子を妊娠したので、無理やりやめさせる結果になりました。<br />
　<br />
三日三晩泣き続けましたが、四日目にはケロッとしていました。が、<br />
　<br />
心のよりどころだったであろう母乳が突然絶たれて、<br />
　<br />
幼心にも悲しみを与えてしまったと、後悔が残りました。<br />
　<br />
そこで下の子には、欲しがる間、授乳していました。<br />
　<br />
2歳になったころ、「自分はもう赤ちゃんではない」と<br />
　<br />
言葉や態度でアピールしてくるようになりました。<br />
　<br />
これはチャンスと思い、<br />
　<br />
「もう赤ちゃんじゃないから、おっぱい、ないないしようね」と説明したら、<br />
　<br />
時々、触りにはくるものの、ピタッと要求しなくなりました。<br />
　<br />
朝までくっすり眠るようにもなりました。<br />
　<br />
年齢的なタイミングでの卒乳は、むしろ考えないほうがいいのだと思いました。<br />
　<br />
焦らずに、その子に合った卒乳のタイミングを見つけ、<br />
　<br />
根気よく語り掛ければ、自立しようとする年齢が来ると、<br />
　<br />
自然に卒乳できるのだなと実感しました。<br />
　<br />
<br /><br />◆星空に向かって″卒業式″<br /><br /><br />
　<br />
長野県伊那市（主婦　42歳）<br />
　<br />
長男（9歳）が1歳になったころ、そろそろ卒乳の準備を、と考え始めました。<br />
　<br />
おっぱいが大好きな長男の卒乳は2歳にしようと決めて、いろいろな人に聞いてみました。<br />
　<br />
しかし、おっぱいに怖い絵を描くとか、からしを塗るという方法には、<br />
　<br />
マイナスのイメージを感じました。<br />
　<br />
そこで、卒乳の言葉通り、「卒業式」をしようと決めました。<br />
　<br />
その日から、毎回のおっぱいの時、「光ちゃんが2歳になって、<br />
　<br />
誕生日ケーキのろうそくをフッと消したら、<br />
　<br />
ママのおっばいをお皇さまに返そうね」と話し掛け続けました。<br />
　<br />
そして迎えた2歳の誕生日。<br />
　<br />
ろうそくを消してから長男と二人で外に出ました。<br />
　<br />
「ママのおっぱい、バイバーイ。赤ちゃんと一緒に戻ってきてね−」と<br />
　<br />
二人で星空に手を振りました。<br />
　<br />
まだ少し寂しそうな長男に、<br />
　<br />
「ママのおっぱいに会いたくなったら、お空を見てごらん。<br />
　<br />
お星さまがいつも光ちゃんを見守ってくれているよ」と言いました。<br />
　<br />
すると安心したような笑頻になり、その日からピタッとおっぱいを卒業しました。<br />
　<br />
次は二男（6歳）の番です。<br />
　<br />
この時は長男が大活躍。<br />
　<br />
3人で外へ出て星空に向かって別れを告げました。<br />
　<br />
長男は二男に向かって「光ちゃんも寂しかったよ。<br />
　<br />
でもね、お星さまは、いつでもユウ（二男のこと）を<br />
　<br />
見守ってくれているから大丈夫だよ」と言ってくれました。<br />
　<br />
こうして二男もピッタリおっぱいを卒業しました。<br />
　<br />
半年間、語り続けた結果、子どもたちも私も心の準備ができたのだと思います。<br />
　<br />
今、三男（1歳）の卒乳に向けて準備を姶めたところです。<br />
　<br />
今度は4人で星空に向かって別れを告げられるよう頑張ります。<br />
　　　<br />
(聖教新聞より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■卒乳■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10538476.html" /> 
  <issued>2008-05-06T17:47:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆周りと同じ必要ない<br /><br />　<br />
千葉市中央区（主婦　32歳）<br />
　<br />
私は長男の断乳を失敗しました。<br />
　<br />
おっぱいが大好きだった長男。<br />
　<br />
私もおっぱいをあげられることがうれしかったのです。<br />
　<br />
でも、同じくらいの月齢の赤ちゃんがいる友人と断乳の話になり、<br />
　<br />
周りの人たちに相談しても、そろそろという答えが…<br />
　<br />
1歳2カ月でチャレンジ。<br />
　<br />
今までおっぱいを吸って寝ていた息子は、<br />
　<br />
もらえなくなって泣きっぱなしでした。<br />
　<br />
しだいに泣かなくなったものの、吸えない怒りと悲しみで、<br />
　<br />
眠たくなると、私の胸をつねったり、ひねったり。<br />
　<br />
私もたまらなくなり、とうとう半年後、もう一度吸わせることに。<br />
　<br />
それからは、幼稚園に入る直前まで、吸いながら寝ていました。<br />
　<br />
私は自分の体験から、やはり断乳ではなく卒乳をお勧めします。<br />
　<br />
母と子二人のきずなは、二人にしか分からないのですから、<br />
　<br />
他人と同じようにしなければならないことなんて<br />
　<br />
一つもなかったなと反省しています。<br />
　<br />
昨年7月に長女を出産し、現在授乳中です。<br />
　<br />
彼女が「いらない」と態度や言葉で示すまで、飲ませてあげるつもりです。<br />
　<br />
寝る前にたっぷり飲んだ後は、<br />
　<br />
リングのあるスリング（行状の抱っこ紐）に入れて抱きながら家事をしていると、<br />
　<br />
その聞にくっすり眠ってしまいます。とても便利ですよ。<br />
　<br />
　<br />
<br /><br />◆"一番いい形で″と祈り<br /><br /><br />
　<br />
大阪市福島区（主婦　38歳）<br />
　<br />
両親や周りの方から「早くやめさせなさい」と意見され続けました。<br />
　<br />
けれど″母親は私、息子のことは一番よく知っている。<br />
　<br />
いつまでも飲むわけじゃない″と思いました。<br />
　<br />
そして″私と息子が一番いい形で卒乳できるように″と、祈り続けました。<br />
　<br />
2歳7カ月の時、私が風邪をひき、せきがひどくなり、<br />
　<br />
強い薬を飲むことになりました。<br />
　<br />
そこで、おっぱいをその間やめなければいけないことを息子に説明しました。<br />
　<br />
すると息子は「僕、お兄ちゃんになったし、<br />
　<br />
お母さんがお薬飲むために、おっぱいやめなくちゃ」と自分に言い聞かせながら、<br />
　<br />
泣くこともなく、3日間で卒乳できたのです。<br />
　<br />
私は、「今までおっぱい飲んでくれてありがとう」と感謝しました。<br />
　<br />
忘れられない思い出で、今でも寝顔を見るたび思い出します。<br />
　<br />
その息子も、この春から元気に幼稚園に通っています。<br />
　　<br />
(聖教新聞より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■卒乳■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10534417.html" /> 
  <issued>2008-04-29T20:12:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆その子の「時期」を待つ<br /><br />　<br />
　<br />
埼玉県春日部市（主婦　33歳）<br />
　<br />
小2の長男、幼椎園年長の長女、3歳の二男3人の子どもがいます。<br />
　<br />
全員母乳で育ちました。<br />
　<br />
特に長男の卒乳には苦労しました。<br />
　<br />
1歳半になった時、"もう年齢的にやめさせなくては"と断乳を試みました。<br />
　<br />
ところが長男は大泣きに泣いて、その泣き方はこちらまで涙が出るほど。<br />
　<br />
しまいには壁に頭をぶつけて泣くのです。<br />
　<br />
"まだやめさせる時期ではない″と思い直し、<br />
　<br />
それからは、また好きなだけ飲ませることにしました。<br />
　<br />
2歳を目前にして、長女がおなかにいることが分かりました。<br />
　<br />
産院の先生や看護師さんに、<br />
　<br />
「お兄ちゃんになるんだよ。おっぱいは我慢。卒業しようね」と優しく説かれると、<br />
　<br />
本人なりに納得したのか、頑張って卒乳することができました。<br />
　<br />
長女の場合は、食べることに興味があって、徐々に飲む回数が減っていき、<br />
　<br />
二男の妊娠が分かった段階で、あっさりと卒乳しました。<br />
　<br />
二男は2歳を過ぎてもしっかり飲んでいましたが、<br />
　<br />
ある日、私が緊急に入院することに。<br />
　<br />
翌日病院に来た時、点滴を受けている私の姿を見て<br />
　<br />
「僕、我慢する」と言い、そのまま卒乳となりました。<br />
　<br />
同じきょうだいでも、卒乳の仕方は三者三様。<br />
　<br />
でも、その子に合った「時期」があると思うのです。<br />
　<br />
無理に「断乳」を押しっけることなく、<br />
　<br />
できることなら本人が納得して「卒乳」できる日を待ってあげてほしいなと思います。<br />
　<br />
<br />
　<br />
<br /><br />◆決めるのはお母さん<br /><br /><br />
　<br />
東京都昭島市一（主婦　37歳）<br />
　<br />
娘が1歳5カ身の時に断乳しました。<br />
　<br />
それまでは夜中も1、2時間おきに、おっぱいで起こされていました。<br />
　<br />
私自身、夜たびたび起こされることがつらく、<br />
　<br />
やめたいと思いつつ、看護師さん等に相談しました。<br />
　<br />
でも、「今の時代は無理にやめなくてもいいんですよ」と言われ、<br />
　<br />
やはり「自然な形で」が理想的なのかなと、<br />
　<br />
大きなストレスを感じながらも授乳を続けていました。<br />
　<br />
そんなある日、スーパ−に開設されている育児相談を訪ねてみました。<br />
　<br />
そこの保健師さんは、「たしかに自然な形でやめるという考え方が主流だけど、<br />
　<br />
″決めるのはお母さん″でも、決して間違いではありません。<br />
　<br />
仕事や病気の治療の都合で、やめざるをえないお母さんもいるわけですからと<br />
　<br />
アドバイスしてくれました。<br />
　<br />
この言葉で、すっと肩の荷が下り、断乳することにしました。<br />
　<br />
昼間は1日くずるだけで済みましたが、夜間は丸10日大泣きです。<br />
　<br />
泣くたびに抱っこして歌を歌い、なだめ続け、ついに断乳することができました。<br />
　<br />
うっかり、「げんこつやまのたぬきさん」を歌い、<br />
　<br />
″おっぱいを飲んで眠る″という歌詞があるので、<br />
　<br />
慌てて途中で違う曲に変えたりしたのも今では懐かしい思い出です。<br />
　<br />
すべてが理想通りにはいかないものですよね。<br />
　<br />
大切なのは、できないことを無理しすぎたり、嘆くのではなく、<br />
　<br />
愛情をもって他の方法を考えることではないかと思います。<br />
　<br />
(聖教新聞より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■3■育児ストレス■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10527591.html" /> 
  <issued>2008-04-19T19:44:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆夫婦で"親バカ"おしやべり<br /><br /><br />
 <br />
大阪市西滝川区　（主婦　35歳）<br />
 <br />
2歳半の男の子と1カ月の女の子の世話に、<br />
 <br />
大わらわの毎日を送っています。<br />
 <br />
楽しいこともありますが、疲れてイライラすることも。<br />
 <br />
そんな時、私はとにかく「しゃべる」ことにしています。<br />
 <br />
同じマンションのママ友達や、<br />
 <br />
子育て支援センターにいるママや保育士さんとおしゃべり。<br />
 <br />
近所の先輩ママには泣きつき、実家の母とは長電話。<br />
 <br />
いろんな人と話す中で、″大変なのは皆、同じなんだなあ″と再確認し、<br />
 <br />
安心したり励ましてもらったりして、心を軽くしています。<br />
 <br />
そして、″子育ての同志″ダンナさまをつかまえて、<br />
 <br />
夜中までおしゃべりすることも。<br />
 <br />
あの時はこんなにもかわいかった、<br />
 <br />
うちの子はこんなにスゴイ!などと、<br />
 <br />
二人で思いっきり「親バカ」になって話すのです。<br />
 <br />
そのうちに、やんちゃなお兄ちゃんも、<br />
 <br />
夜中にたくさん泣く下の子も、″わが家に来てくれてありがとう″と、<br />
 <br />
感謝の気持ちでいっぱいになります。<br />
 <br />
忙しいパパですが、私のおしゃべりに付き合ってくれて、<br />
 <br />
これも立派な子育てだと感謝しています。<br />
 <br />
<br />
<br /><br />◆大変なシーンはビデオ撮影<br /><br /><br />
 <br />
福岡市早良区（主婦　39歳）<br />
 <br />
双子の娘がいます。<br />
 <br />
「双子ちゃん大変ね」とよく言われましたが、<br />
 <br />
大変なんてものじゃありません。<br />
 <br />
おんぶに抱っこで家事をこなし、<br />
 <br />
どれくらい寝たか分からないほどの睡眠時間。<br />
 <br />
頭は五百円大の円形脱毛症に。<br />
 <br />
「私、生きてる？」と、よく自問していました。<br />
 <br />
成長の早かった双子は10カ月で歩きだし、イタズラ女王へと変ぼう。<br />
 <br />
タンスの中身を全部出し、<br />
 <br />
ふすまを破って"トンネル遊び"はまだ、かわいい方です。<br />
 <br />
風呂場で大物の洗濯をやっと終えて部屋に戻ると、<br />
 <br />
オリーブオイルを頭からかぶって、<br />
 <br />
二人でキャッキャッと笑いながら塗りあい、<br />
 <br />
畳もじゅうたんもオイルまみれ。<br />
 <br />
それらを全部取り除くと、<br />
 <br />
今度はハンドクリーム3瓶を全部空にして、同じ状態に。<br />
 <br />
もう限界でした。<br />
 <br />
このような時、私はよくビデオカメラで撮影するようにしました。<br />
 <br />
「大変なことになっています。<br />
 <br />
この笑いはどこから聞こえるのかな〜」などと解説を加えながら、<br />
 <br />
ファインダーをのぞくと、<br />
 <br />
悪魔でしかなかったわが子も天使のように見えました。<br />
 <br />
体調も優れず、イライラして双子にあたってしまいがちな時は、<br />
 <br />
ビデオカメラを部屋の隅に固定。<br />
 <br />
すると人目があるような錯覚に陥り、<br />
 <br />
優しく接することができました。<br />
 <br />
双子が5歳になった今、ビデオを使うことはなくなりましたが、<br />
 <br />
撮った映像は生涯の宝です。<br />
 <br />
イタズラ双子の映像を見ながら、家族は皆、大笑いですが、<br />
 <br />
私だけは涙が流れてしまいます。<br />
 <br />
だれも言ってくれないけれど、<br />
 <br />
「私、よく頑張ったね。私、えらかったね」と。<br />
 　　<br />
(聖教新聞より)<br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■育児ストレス■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10523298.html" /> 
  <issued>2008-04-11T21:17:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆大きな声で歌つて晴れ晴れ<br /><br /><br />
　<br />
大阪府豊中市（主婦　50歳）<br />
　<br />
育児というと幼い子どもを想像しますが、<br />
　<br />
成人しても子どもとのかかわりが終わるわけではなく、<br />
　<br />
より強いストレスがたまることもあります。<br />
　<br />
子どもが小さいころには、「ぞうさん」などの歌を大きな声で歌い、<br />
　<br />
ストレス騨消をしていました。<br />
　<br />
できるだけ親子が出てくる歌を選び、歌って苦しい胸の内をはき出したら、<br />
　<br />
スッキリした気持ちで子どもを抱きしめることができたのです。<br />
<br />
最近は、思いが通じなかったり、激しく反論してくる子どもたちにムムッとくると、<br />
<br />
″母よ〜″と自分の大好きな歌を歌って、気分を晴れ晴れとさせています。<br />
<br />
感動できる歌の力って素晴らしいと思います。<br />
<br />
また、大きな声を出すと肩の力が抜けて、頭の中が一度空っぽになれるので、<br />
　<br />
ストレス酵消にはおすすめです。<br />
　<br />
あまり深く考え込まないことだと思いますが、それでも思い詰めてしまう時、<br />
　<br />
いつも私は歌うことにしています。<br />
　　　　<br />
<br /><br />◆7割ママで十分との思いで<br /><br /><br />
　<br />
横浜市西区（英会話講師　50歳）<br />
　<br />
育児は、思うようにいかなかったり、体調が悪くなったりすると、<br />
　<br />
本当にストレスがたまるものです。<br />
　<br />
そこで、私が自分自身をコントロールするために、<br />
　<br />
やってきたことを3点、紹介します。<br />
　<br />
1、1日1回は、子どもを公園で思いっきり遊ばせる。<br />
　<br />
それは、お母さん友達を増やすチャンスにもなり、<br />
　<br />
日光を浴びることでリラックスもできます。<br />
　<br />
2、週に1度、″子ども抜き″の自由時間を持つ。<br />
　<br />
これは周囲の協力が不可欠ですが、私は毎週土曜日の4時間、<br />
　<br />
英会話学校で思いっきり勉強させてもらいました。<br />
　<br />
今では自分が教える立場となり、3年前には英検1級を取得できました。<br />
　<br />
3、完璧を目指さない、他人や育児書などと自分たちを比べない。<br />
　<br />
多少おしめがとれるのが遅くても、早寝・早起きができなくても、<br />
　<br />
あまり神経質になることはないと思います。<br />
　<br />
私は″7割ママで十分″くらいの気持ちでした。<br />
　<br />
子どもはあっという間に成長します。<br />
　<br />
いろんな失敗やつまずいたことも、<br />
　<br />
二人の子どもが大学生になった今では、なつかしい思い出です。<br />
　　<br />
(聖教新聞より)<br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■育児ストレス■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10519446.html" /> 
  <issued>2008-04-04T21:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆「あきらめ」を実践し楽に<br /><br /><br />
　<br />
東京都東村山市（公務員　39歳）<br />
　<br />
4歳の娘がいます。だだをこね始めると、<br />
　<br />
何を言っても「やだ」の一点張り。<br />
　<br />
そこがどこであろうと座り込み、<br />
　<br />
あおむけになって、暴れていました。<br />
　<br />
もう、どうしたらいいのか分からなくて、<br />
　<br />
子どもとは少し離れ、ため息をついていました。<br />
　<br />
本紙・教育欄の連載コラム「子どもに笑顔を」の<br />
　<br />
「"あきらめ″も大事」を読み、少し実践してみました。<br />
　<br />
深呼吸をし、娘と同じ目線になるようにしゃがみ、<br />
　<br />
にっこりと笑いました。<br />
　<br />
すると、娘は私のそばまで来て、<br />
　<br />
何が「やだ」だったのかを話してくれました。<br />
　<br />
「ママが先に行っちゃうのがやだ」<br />
　<br />
「そうだったの。じやあ手をつないで行こうね」<br />
　<br />
″早く、早く″とせかしていた自分の気持ちを「あきらめ」ました。<br />
　<br />
不思議なことに、怒ってばかりいた私でしたが、<br />
　<br />
笑顔になる余裕が出てきました。<br />
　<br />
おもちゃも、片付けても片付けても、<br />
　<br />
すぐ散らかしてしまうので、「もーつ」と思っていたのですが、<br />
　<br />
「ま、いいか」と「あきらめ」ました。<br />
　<br />
「あきらめ」ることでら楽になりました。<br />
　<br />
今は子どものペースに合わせていこうと思っています。<br />
　<br />
こんな時期もいずれは終わりが来ると思い、<br />
　<br />
友達とおしゃべりしながらストレス発散。<br />
　<br />
娘とカラオケにも行っています。<br />
　<br />
<br />
<br /><br />◆励ましあえる生涯の同志を<br /><br /><br />
　<br />
神戸市垂水区（主婦　42歳）<br />
　<br />
転勤族のわが家が高知で暮らした時の話です。<br />
　<br />
現在4歳の長女が1歳くらいでした。<br />
　<br />
育児サークルの代表だった私は、<br />
　<br />
わが子だけでも手がかかるのに、<br />
　<br />
約20組の親子をまとめてイベントを開催。<br />
　<br />
それが地域の行事と重なることもあり、<br />
　<br />
イライラすることがしばしばでした。<br />
　<br />
そんな時、同じヤングミセスのTさんから<br />
　<br />
「遊びにおいで」との電話が。<br />
　<br />
彼女も転勤族で、4歳と0歳のお子さんを抱えながら、<br />
　<br />
やはり育児サークルの代表を務めていました。<br />
　<br />
家を訪れると、テーブルの上に"たこ焼きセット″がありました。<br />
　<br />
「今日はゆっくりしていって」と慣れた手つきでたくさん焼いて、<br />
　<br />
ごちそうしてくれたのです。<br />
　<br />
子どもたちとほおばりながら、育児や地域活動のことなど、<br />
　<br />
存分におしゃべりしました。<br />
　<br />
そして、「宮崎さん、無理したらあかんよ」と<br />
　<br />
明るく励ましてくれたのです。<br />
　<br />
この時、胸の中の氷がと溶けていくような気がしました。<br />
　<br />
慣れない土地で時々感じていた孤独感、<br />
　<br />
ストレス、悲観的になりがちだった自分が、<br />
　<br />
何か一つ、乗り越えられた実感を覚えた瞬間でした。<br />
　<br />
それ以来、力を入れすぎず、<br />
　<br />
楽しみながら育児や地域活動ができるようになり、<br />
　<br />
ストレスを感じたら、心の通う仲間とおしゃべりをして、<br />
　<br />
解消できるようになりました。<br />
　<br />
その後、Tさんは高松へ、私は神戸へ転勤で移り住みましたが、<br />
　<br />
今も″生涯の同志″として連絡を取り合い、励ましあっています。<br />
　<br />
(聖教新聞より)<br />
<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■3■食物アレルギーを持つ子どもへの親のかかわり■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10514254.html" /> 
  <issued>2008-03-26T19:42:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />前向さな言葉がけを<br /><br /><br />
　<br />
<br /><br />◆周囲の人に知ってほしい点はありますか。<br /><br /><br />
　<br />
「かわいそう」とか「頑張れ」との言葉かけには注意してほしいですね。<br />
　<br />
食べられないものがたくさんある子どもを見ると、<br />
　<br />
ついついそうした言葉かけをしがちですが、<br />
　<br />
子どもは「かわいそう」と言われると、<br />
　<br />
自分をみじめに思ってしまいます。<br />
　<br />
また、「頑張れ」と言われても、<br />
　<br />
何を頑張ったらいいのか分かりません。<br />
　<br />
我慢することが、頑張ることなのでしたら、<br />
　<br />
ずっと我慢しなければいけないので、<br />
　<br />
本人にとってはしんどいことです。<br />
　<br />
それよりも、<br />
　<br />
「（アレルギーを引き起こすものを）食べないから元気だね」<br />
　<br />
「よかったね」などと前向きな言葉かけを心がけていただきたいですね。<br />
　<br />
<br /><br />◆最後に、食物アレルギーの子をもつ親に一言お願いします。<br /><br /><br />
　<br />
一病息災と言いますが、一つくらい病気がある方が、<br />
　<br />
かえって健康に気をつけて長生きできるものです。<br />
　<br />
私も子どもがアレルギーをもち、食事に気をつけるなかで、<br />
　<br />
何よりも私自身が健康になりました。<br />
　<br />
肩こりがなおったとか、頭痛がなおったとか、<br />
　<br />
風邪をひきにくくなったとか、さまざまな効果がありました。<br />
　<br />
だから、常々、息子に「あなたのおかげで、<br />
　<br />
母さんも丈夫になったよ」と言っています。<br />
　<br />
またある先生に教わったのですが、<br />
　<br />
「集団で募らす動物のなかには、集団をよりよい環境や食物へ導くために、<br />
　<br />
環境の変化に敏感な個体がいるものなんだってよ」とも話し、<br />
　<br />
アレルギーをもって生まれたこと、<br />
　<br />
そのハンディすらも、人の役に立っていることを伝えています。<br />
　<br />
そうした言葉かけのなかで、<br />
　<br />
子どもも自信をもって進んでいけるよう願っています。<br />
　<br />
「アレルギーっ子つくしんぽの会」佐藤のり子代表に聞く<br />
 <br />
(聖教新聞より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■食物アレルギーを持つ子どもへの親のかかわり■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10511439.html" /> 
  <issued>2008-03-21T19:55:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />「回転食」を指針に<br /><br /><br />
 <br />
<br /><br />◆息子さんが食物アレルギーをもっていると、どのように気づかれたのですか。<br /><br /><br />
 <br />
約20年前、末熱児で生まれた息子は、やたらとよく泣いていました。<br />
 <br />
最初は、元気でいいなと思っていましたが、いっこうに泣きやまない。<br />
 <br />
下痢をしていましたが、当時は、アレルギー症状といえば、<br />
 <br />
じんましんが一般的であったので、なかなか原因が分かりませんでした。<br />
 <br />
生後6カ月たっても、おかゆも粉ミルクも受けつけず、<br />
 <br />
途方にくれたころにやっと、アレルギーであることが認められました。 <br />
 <br />
卵、乳製品、大豆、米、小麦のすべてにアレルギーがあると言われました。<br />
 <br />
これらの食材を摂取すると、下痢やじんましん、<br />
 <br />
アトピー性皮膚炎、喘鳴、鼻炎などが起きました。<br />
 <br />
こうした症状は当時、重症とされましたが、<br />
 <br />
最近では同じような症状をもつ子どもも増えています。<br />
 <br />
<br /><br />◆家庭ではどのようなことに気をつけましたか。<br /><br /><br />
 <br />
食べることができるのは、初めは芋と雑穀、豚肉くらいでしたから、<br />
 <br />
栄養不足にならないように、食事管理をするのが大変でした。<br />
 <br />
ちょうど、「回転食」という除去食物療法を教えてもらうことができ、<br />
 <br />
これを指針にしました。<br />
 <br />
回転食は同じものを続けて食べないで、1日ごとに変え、<br />
 <br />
4〜7日の周期で食べる」方法です。<br />
 <br />
間をあけると軽いアレルギーのものなら食べられますし、 <br />
 <br />
新たなアレルギーにかかるのも予防できます。<br />
 <br />
この方法で、息子は3歳くらいから米と大豆を、<br />
 <br />
3歳半くらいからは小麦も少しずつ食べられるようになりました。<br />
 <br />
<br /><br />◆ほかに気をつけた点はありますか。<br /><br /><br />
 <br />
息子は即時型で、アレルギーを引き起こすものが<br />
 <br />
少しでも残っていると反応してしまいました。<br />
 <br />
だから、親が普通の食事をした場合、その食器を洗っても、<br />
 <br />
スポンジや、その食器に残っている微量な成分から<br />
 <br />
アレルギー症状を起こしてししまうのです。<br />
 <br />
アレルギ−に関連するものが混入しないように、<br />
 <br />
家族みんなが同じ食事をするように心がけました。<br />
 <br />
「アレルギーっ子つくしんぽの会」佐藤のり千代表に聞く<br />
 <br />
(聖教新聞より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■食物アレルギーを持つ子どもへの親のかかわり■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10510306.html" /> 
  <issued>2008-03-19T20:54:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		卵・乳・小麦・そば・落花生といった特定の食物が原因で<br />
 <br />
アレルギー症状を起こす子どもが増えています。<br />
 <br />
こうした食物アレルギーをもつ子どもへの親のかかわりについて、<br />
 <br />
「アレルギーっ子つくしんぼの会」代表で、<br />
 <br />
『先輩ママのアレルギーっ子育児』（農文協）の著者である<br />
 <br />
佐藤のり子さんに聞きました。<br />
 <br />
<br /><br />食生活の変化も影響<br /><br /><br />
 <br />
<br /><br />◆食物アレルギーをもつ子が増えているといわれますが、<br />
 <br />
その原因について教えてください。<br /><br /><br />
 <br />
さまざまな原因が考えられますが、食生活の変化が大きいでしょう。<br />
 <br />
昔は、食べさせないと栄養不足になるといわれましたが、<br />
 <br />
今は食べ過ぎを注意する時代です。<br />
 <br />
規則正しく腹八分目に抑える食べ方をしている家庭も少なくなりました。<br />
 <br />
子どもが自分で、おなかにたまるものを安く、簡単に買える時代です。<br />
 <br />
公園で遊んでいる子どもが、お菓子を持っている姿をよく見かけますが、<br />
 <br />
最初は驚きました。<br />
 <br />
運動と食事を分けずに、ダラダラと食べている。<br />
 <br />
こうした食生活の乱れが、アレルギーに限らず、<br />
 <br />
子どもの生活習慣病を引き起こしているのだと思います。<br />
<br />
<br /><br />◆飽食の時代だからこそ注意したいですね。<br /><br /><br />
 <br />
アレルギー症状を引き起こす原因の卵や、乳製品を筆頭に、<br />
 <br />
油や砂糖などが非常に安く手に入ります。<br />
 <br />
昔はみな、高級品で、なかなか手に入らないものでした。<br />
 <br />
これらの大量摂取で、体が処理しきれなくなって悲鳴を上げているのです。<br />
 <br />
また、農薬を使った野菜、各種の化学物質を使った食品などが<br />
 <br />
大量に出回っている点も、原因の一つでしょう。<br />
 <br />
私の息子は、食物アレルギーのほか、化学物質にも敏感で、<br />
 <br />
幼児期には、天然物のブリは食べられるけど、<br />
 <br />
養殖のハマチを食べると、□のまわりが赤くなるなどの症状がすぐ出ました。<br />
 <br />
(聖教新聞より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■■発作的な暴力と低血糖の関係■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/d/10505297.html" /> 
  <issued>2008-03-09T20:31:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />攻撃ホルモン放出が原因<br /><br /><br />
　　　　　　　　　　　　　　<br />
ある晩、「23歳の患子が発作的に暴れている」と、<br />
　<br />
母親から相談の電話があった。<br />
　<br />
私はとっさに「バナナを食べさせてください」と助言した。<br />
　<br />
約1時間後、母親から再び電話があり、<br />
　<br />
バナナを食べさせたら落ち着いた、と。<br />
　<br />
それから3日ほど経って、<br />
　<br />
母親から再び電話がかかってきた。<br />
　<br />
彼女は、息子の食生活を聞いて驚いたとか。<br />
　<br />
大学に入ってから毎日、<br />
　<br />
砂糖入り缶コーヒーを10本以上飲んでいたのだった。<br />
　<br />
低血糖と発作的な暴力は、関係が深い。<br />
　<br />
低血糖になれば、血糖を高めて正常値に戻そうと、<br />
　<br />
副腎からアドレナリンというホルモンが放出される。<br />
　<br />
このホルモンは、例えば危機場面に直面し、<br />
　<br />
戦うか逃げるかという状況に迫られた時、<br />
　<br />
エネルギーとなる血糖を高め、心臓を活発化させるので、<br />
　<br />
通称″攻撃ホルモンと呼ばれる。<br />
　<br />
低血糖になると、このホルモンが放出されることから、<br />
　<br />
周りに脅威がなくとも、攻撃的・暴力的になるのである。<br />
　<br />
急性低血糖には、バナナが効果的であることから、<br />
　<br />
私は冒頭のようなアドバイスをしたのである。<br />
　<br />
米国の犯罪研究学者シャウスの著書『栄養と犯罪行動』では、<br />
　<br />
犯罪研究における「低血糖説」に関し、<br />
　<br />
かなりのスペースを割いて論じている。<br />
　<br />
シャウスは本書で″妻の暴力″を、<br />
　<br />
一つのケースとして挙げている。<br />
　<br />
ある男性相談者は、帰宅すると、<br />
　<br />
妻がいきなり肉切り包丁で襲いかかってきたという。<br />
　<br />
面接中、3カ月前、<br />
　<br />
妻に新しいコーヒー沸かし器を買ってあげたことが分かった。<br />
　<br />
聞き流しそうな、ちょっとした話だったが、<br />
　<br />
シャウスには「ひょっとすると、関係があるかも……」との考えがわいた。<br />
　<br />
男性は即座に妻と連絡をとり、<br />
　<br />
コーヒーを1日何杯飲んでいるのか、尋ねてみた。<br />
　<br />
その返答は、驚いたことに「15〜20杯のあいだ」であった。<br />
　<br />
夫の記憶をたどれば、以前は1日3、4杯程度であったとか。<br />
　<br />
そこでシャウスは、1日5杯以下に減らすようアドバイスを与えた。<br />
　<br />
やがて、妻の暴力も収まり、夫婦の関係も平静になったという。<br />
　<br />
原因がよく分からない暴力の場合、<br />
　<br />
その人の食生活にまず目を向けることを勧めたい<br />
　<br />
岩手大学名誉教授　大沢　博<br />
　<br />
(聖教新聞より)<br />
　<br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■4■楽しくやろう成績アップ■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10503694.html" /> 
  <issued>2008-03-05T21:12:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆叱らない工夫が子どもを伸ばす<br /><br /><br />
 <br />
「親に愛されている」という実感がある子どもは、<br />
 <br />
自分も他人も大切にするようになります。<br />
 <br />
反対に、叱られていることが多いと、<br />
 <br />
「親に愛されている」という実感を持てなくなります。<br />
 <br />
しつけのために「叱らない」工夫が大切ですね。<br />
 <br />
親に愛されているという実感を持っていると、<br />
 <br />
子どもの心は満たされます。<br />
 <br />
すると、親の言うことを素直に聞けるようになります。<br />
 <br />
つまり、しつけもスムーズにいくのです。<br />
 <br />
また、ほかの誰に対しても心を開いて、<br />
 <br />
優しくすることができるようになります。<br />
 <br />
親は子どもを愛しているつもりでも、<br />
 <br />
子どもはそう感じていない場合がけっこうあります。<br />
 <br />
その場合には、親の言うことも聞く気になれませんし、<br />
 <br />
ほかの誰に対しても心を開くことができなくなります。<br />
 <br />
親が子どもに何かをしつけたいと思ったら、<br />
 <br />
まずは親の愛情を子どもに実感してもらうことが大切です。<br />
 <br />
子どもは、叱られることが多いと<br />
 <br />
「親に愛されていないのではないか」と感じるようになります。<br />
 <br />
つまり、親の愛情への不信感がめばえてくるのです。<br />
 <br />
たとえば、親は「整理整頓ができない」「歯磨きを忘れてしまう」<br />
 <br />
「朝、自分で起きられない」「自分から勉強を始めない」などで、<br />
 <br />
子どもをよく叱ります。<br />
 <br />
でも、自然にできるような工夫をしてやれば、<br />
 <br />
叱らなくてもすむようになります。<br />
 <br />
片付けタイムを作って毎日実行する、<br />
 <br />
お箸と一緒に食卓に歯ブラシを置いておく、<br />
 <br />
五つの目覚まし時計を1メートルおきに置く、<br />
 <br />
タイマーで勉強開始時刻に音楽が流れるようにセットするなどです。<br />
 <br />
高いモチベーションをもって、合理的な勉強法(楽勉)で、<br />
 <br />
努力を継続すれば、誰でも学力を高めることができる。<br />
 <br />
これが私の結論です。(談)<br />
 <br />
教育評論家 親野智可等<br />
<br />
(灯台3月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
　
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■3■楽しくやろう成績アップ■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10502372.html" /> 
  <issued>2008-03-02T19:20:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆「社会」のある生活<br /><br /><br />
 <br />
テレビでアナウンサーが「私が今いるのは、<br />
　<br />
米どころ新潟県越後平野の水田です」と言ったら、<br />
 <br />
地図帳ですぐその場所を調べます。<br />
　<br />
スポーツ番組なら、野球やサッカーチームの本拠地、<br />
　<br />
オリンピックの開催国などを探すのもおもしろいかもしれません。<br />
　<br />
そして、マーカーで色をつけておきます。<br />
　<br />
マークしたところを見るたびに、テレビの映像を思い出します。<br />
　<br />
これを続けると、地理の勉強が大好きになります。<br />
　<br />
スーパーマーケットは、世界中の品物であふれています。<br />
　<br />
フィリピンのバナナを見つけたら、地図帳で調べます。<br />
　<br />
もちろん国産の品物でもよいのです。<br />
　<br />
地方の特産ロ叩や子どもの好物を見かけたら、<br />
　<br />
産地を調べさせてみてください。<br />
　<br />
旅行に行くときにも地図帳やロードマップを持っていき、<br />
　<br />
自分の通った経路に色をつけます。<br />
　<br />
地図帳の記号と実際の風景とを比べながら旅行をするのは、<br />
　<br />
とても楽しいことです。<br />
　<br />
<br /><br />◆本物体験が楽勉の柱<br /><br /><br />
　<br />
楽勉の主な柱のひとつに本物体験があります。<br />
　<br />
本物体験は子どもに強い印象を与え、その後の知的探求の原動力になります。<br />
　<br />
実際に天体観察で土星の美しさを体験したり、<br />
　<br />
有名な物語の舞台や作家の人生を体感したりするのもよいでしょう。<br />
　<br />
虫眼鏡で身近なものを見ると、いろいろな発見ができます。<br />
　<br />
手のひらが無数のしわと指紋でおおわれていること、<br />
　<br />
虫眼鏡で見ると花の色はますます美しく、<br />
　<br />
蝶の羽はますます神秘的に見えることなど、<br />
　<br />
いつもは見逃している自然界の様子に気がつくことができます。<br />
　<br />
『○○の秘密』などのタイトルで出ている学習マンガこそ、<br />
　<br />
日本が生んだ最高の楽勉グッズです。<br />
　<br />
何といっても、マンガを楽しみながら、<br />
　<br />
いつの間にか膨大な知識を身につけることができるのですから。<br />
　<br />
とくに、歴史マンガは私のイチオシです。<br />
　<br />
教科書の無味乾燥な説明に比べて、<br />
　<br />
はるかにおもしろくてわかりやすくできています。<br />
　<br />
学習マンガが、たとえば家に100冊あれば、<br />
　<br />
子どもの知的レベルは自然に上がり、<br />
　<br />
子どももどんどん知識を吸収していきます。<br />
　<br />
NHKの各学年対象の教育番組は、<br />
　<br />
短時間で教科書の内容が理解できるすばらしい番組です。<br />
　<br />
『ふしぎ情報局』(六年理科)、『わかる国語読み書きのツボ』(三・四年)、<br />
　<br />
『にんげん日本史』などがおすすめです。<br />
　<br />
また、NHK総合テレビの『週刊こどもニュース』は社会を見る眼を育ててくれます。<br />
　<br />
教育評論家 親野智可等<br />
<br />
(灯台3月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
　
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■楽しくやろう成績アップ■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10500534.html" /> 
  <issued>2008-02-27T19:59:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆「算数」のある生活<br /><br /><br />
 <br />
おやつにカステラを食べるとき、ただ端から切って食べるだけでは、<br />
　<br />
食欲を満たすことはできても知的な刺激を与えることはできません。<br />
　<br />
ぜひ、四つに切り分けたカステラを前に、<br />
　<br />
「四つに分けた一つ分を四分の一と言うんだよ」と教えてください。<br />
　<br />
そして、「八つに分けた一つ分は?」とか「八つに分けた二つ分は?」<br />
　<br />
「これは、いくつに分けたいくつ分かな?」などと聞いてみましょう。<br />
　<br />
さらに、「四分の一と八分の一のどちらがいい?」<br />
　<br />
「四分の一と八分の二のどちらがいい?」などと聞いてみてください。<br />
　<br />
子どもは、カステラの取り分がかかっているので一生懸命考えます。<br />
　<br />
そして、「こういう言い方を分数と言うんだよ」と教えてください。<br />
　<br />
同じようなことを羊羹やリンゴやピザなどでやれば、<br />
　<br />
分数についてかなり理解が進みます。<br />
　<br />
親がほんの少し意識しているだけで、これも楽勉の機会になるのです。<br />
　<br />
<br /><br />◆「国語」のある生活<br /><br /><br />
　<br />
国語の楽勉のヒントは、日常の中にたくさんあります。<br />
　<br />
中でもすぐにできる楽勉のひとつに、国語辞典を活用する方法があります。<br />
　<br />
テレビで「これはキジョウノクウロンです」という言葉を聞いたら、<br />
　<br />
すぐに国語辞典で調べます。<br />
　<br />
意味がわかったらマーカーで色をつけておきます。<br />
　<br />
これで、いろいろな言葉を覚えます。<br />
　<br />
国語辞典にマークが増えることが楽しみになりますし、<br />
　<br />
マークしたところを目にするたびにその言葉を思い出します。<br />
　<br />
続けていると調べるクセがつき、知らず知らず国語刀が向上します。<br />
　<br />
<br /><br />◆「理科」のある生活<br /><br /><br />
　<br />
温度計や湿度計を見るクセをつけさせましょう。<br />
　<br />
「今日は蒸し暑いと思ったら、気温が35度で湿度が70パーセントもある」<br />
　<br />
などと数値化する習慣を養いましょう。<br />
　<br />
ほかにも台風の速度や潮の満ち干の周期などを意識するのもよいですね。<br />
　<br />
自然現象を数字でとらえようとするのが、理科や科学の基本的マインドです。<br />
　<br />
これを生活の中で自然に育てると、理科が得意になります。<br />
　<br />
プラネタリウムや科学館などの施設は、<br />
　<br />
理科への興味を育てるには最高の場所です。<br />
　<br />
実際に自分の手を使って楽しい実験をしたり、<br />
　<br />
大きな望遠鏡で本物の惑星を観察したりすることは、<br />
　<br />
子どもに強烈な印象を残します。<br />
　<br />
家ではなかなか体験できないことも、こういった施設を利用すると、<br />
　<br />
楽しく、しかも、楽に学習できます。<br />
　<br />
本物体験をしていると、学校での理科の勉強にも興味をもって取り組めるのです。<br />
　<br />
(灯台3月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
　
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■楽しくやろう成績アップ■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/c/10499695.html" /> 
  <issued>2008-02-25T20:03:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />「ドラゴン桜｣の「親力｣に学ぶ「楽勝法｣<br /><br /><br />
<br />
親野智可等　おやの・ちから<br />
1958年生まれ。公立小学校で23年間教師を務める。<br />
2003年10月より無料メールマガジン『親力で決まる子供の将来』の発行を開始。<br />
2006年3月に、小学校を退職。著書に『「親力」で決まる!』<br />
『「プロ親」になる!』<br />
『「ドラゴン桜」わが子の「東大合格力」を引き出す7っの親力』<br />
『「叱らない」しつけ』ほか多数。<br />
"東大合格請負マンガ"『ドラゴン桜』の特命本部長を務める。<br />
2003年に週刊『モーニング』誌で連載開始されたこのマンガは、<br />
偏差値30台の落ちこぼれ高校、龍山高校を東大進学者100人<br />
を輩出する超進学校にする物語で、テレビドラマ化もされた。<br />
教育評論家。本名・杉山桂一。http://www.oyaryoku.com<br />
<br />
<br /><br />◆キーワードは「楽しい」<br /><br /><br />
　<br />
子どもの学力を伸ばすには、「親力」が必要です。<br />
　<br />
この「親力」とは、「子どもを愛し、育て、伸ばすための親の総合力」のこと。<br />
　<br />
子どもに「勉強しなさい」とガミガミ叱っても、<br />
　<br />
子どものやる気はダウンするだけで、効果がありません。<br />
　<br />
それよりも、親が発想の転換をして、ちょっとした工夫があれば、<br />
　<br />
子どものやる気をアップさせ、遊び感覚で学習させ、<br />
　<br />
しっかりとしたしつけができるようになるのです。<br />
　<br />
キーワードは「楽しい」です。<br />
　<br />
子どもが進んで勉強しないのは、勉強の楽しさを知らないからです。<br />
　<br />
私は「楽しく勉強する」ことを略して「楽勉」と一言っています。<br />
　<br />
楽勉で勉強の楽しさを知れば、<br />
　<br />
「勉強しなさい」と言われなくても自然に勉強するようになります。<br />
　<br />
勉強といえば、「教科書、ノート、参考書『問題集を使ってするもの」という<br />
　<br />
固定観念を持っていませんか。<br />
　<br />
でも、机に向かって勉強するのがもともと好きな子が、どれだけいるでしょうか。<br />
　<br />
人は誰でも、好きなこと、やっていて楽しいことでないと進んでやらないのです。<br />
　<br />
進んで勉強させるためには、勉強を好きにさせること、<br />
　<br />
つまり楽しいと感じさせるようにすること以外に方法はないのです。<br />
　<br />
そこで、生活や遊びの中で楽しみながら、<br />
　<br />
無理なく自然に知的刺激を与える方法を、教科別に紹介しましょう。<br />
　<br />
(灯台3月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■■低血糖で心身の働きが低下■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/a/10498903.html" /> 
  <issued>2008-02-23T20:31:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		不安、疲れ、無気力の原因に<br />
　<br />
血液を通じ、人体のあらゆるところに、ブドウ糖が運ばれている。<br />
　<br />
これが全細胞のエネルギー源である。<br />
　<br />
ゆえに、血糖値の異常な低下は、心身の働きを低下させる。<br />
　<br />
極端な場合、低血糖が死を招くこともある。<br />
　<br />
1924年、米国のハリス博士は、砂糖の過剰摂取などの食事の崩れによって、<br />
　<br />
すい臓からインスリンが過剰に分泌され、<br />
　<br />
血糖値を低下させるという論文を発表した。<br />
　<br />
だが、その提唱は、広く理解を得るまでにはいたらなかった。<br />
　<br />
時を経て、1950年ごろ、米国医師ガイランドは、<br />
　<br />
自分自身の症状ー不安、ふるえ、無力感、めまい、失神、心悸亢進、<br />
　<br />
集中力と記憶力の低下ーについて、その原因を追究するうち、<br />
　<br />
ハリスの論文に出合う。<br />
　<br />
それによって、自分の自覚症状が低血糖症に由来することを理解した。<br />
　<br />
彼はその後、600人以上の低血糖症患者を診療、症状のリストを発表した。<br />
　<br />
神経過敏、怒りっぽい、極度の疲労、無気力、ふるえ、脱力、うつ、<br />
　<br />
めまい、眠い、頭痛、消化障害、忘れっぽい、不眠、理由不明の不安、<br />
　<br />
精神的な混乱……など。<br />
　<br />
低血糖症を学んだ私は、来談者の訴えと食生活から低血糖症を疑うと、<br />
　<br />
それへの理解が深い医師に紹介したが、<br />
　<br />
ほとんどの人たちが、低血糖症であることが分かったのだ。<br />
　<br />
糖分の取りすぎは、血糖を下げるインスリンの過剰分泌で、<br />
　<br />
かえって血糖値の低下を招く。<br />
　<br />
大学の講義で低血糖症について話すと、<br />
　<br />
学生の反応は殊のほか大きく、たとえば次のような報告があった。<br />
　<br />
「糖分の取りすぎは、私にとって耳が痛かった。<br />
　<br />
のどが渇けば、清涼飲料をがぶがぶ飲み、チョコレート、ケーキ、<br />
　<br />
菓子パンなど、甘いものが大好きで、いつも食べていた。<br />
　<br />
ご飯よりも、食べる量が多かったと思う。<br />
　<br />
思い返せば、私は立っていると、すぐ座りたくなったし、<br />
　<br />
朝からあくびばかりしていた。<br />
　<br />
自分でも驚くほど、集中力もなかった」<br />
　<br />
この報告と似たような生活をする学生は少なくない。<br />
　<br />
近ごろは、学力の低下が問題視されることも多い。<br />
　<br />
だが思うに、そもそも集中力のない学生であれば、<br />
　<br />
学力が低下するのも当然であろう。<br />
　<br />
岩手大学名誉教授　大沢博<br />
　<br />
(聖教新聞より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■2■「心をつなぐ力」■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/a/10496230.html" /> 
  <issued>2008-02-17T20:08:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />◆「呼保義」<br /><br /><br />
 <br />
「保義」とは小役人で、将軍でなく小役人と睦んでほしいという意。<br />
 <br />
自分を卑下しているようなニックネームだが、<br />
 <br />
自分の果たすぺき役割を忘れないための自称とも考えられる。<br />
 <br />
保義とは、地元から選ばれた民と直に接する役人のことで、<br />
 <br />
宋.江自身が民のことを最も知っており、<br />
 <br />
事務処理能力が優れていると自認していたのだ。<br />
 <br />
戦において宋江は、豪傑たちの組み合わせについて腐心し、<br />
 <br />
それぞれの能力を存分に発揮できるよう配慮している。<br />
 <br />
適材適所の人材配置は、優れた人物把握と事務能力の高さの証明だ。<br />
 <br />
<br /><br />◆「孝義の黒二郎」<br /><br /><br />
 <br />
孝行と忠義とを併せ持つ人物という意。<br />
 <br />
宋江は孝行を尽くす謙虚な人物であり、<br />
 <br />
忠義のためならば自分が不利な立場に置かれることも厭わない人物だった。<br />
 <br />
そのため豪傑たちは誰よりも宋江を信頼し、宋江に応えようとした。<br />
 <br />
 <br />
 <br />
たとえ何らかの卓越した能力があったとしても、<br />
 <br />
傲慢で信頼されなければ、心をつなぐことはできない。<br />
 <br />
宋江には特別な能力はなかったが、<br />
 <br />
人格の大きさは並み居る豪傑たちをのみ込むほどであった。<br />
 <br />
たとえ、自分に卓越した能力がないとしても、<br />
 <br />
人のことを知り、細かいこともきちっと処理し、<br />
 <br />
信頼されるならば、心をつなぐ力を発揮することができる。<br />
 <br />
平凡な人物にも光を当てたという点においても、<br />
 <br />
梁山泊のリーダー・宋江の功績は大きい。<br />
 <br />
(第三文明2月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>■1■「心をつなぐ力」■</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miz6118.noblog.net/blog/a/10495754.html" /> 
  <issued>2008-02-16T20:53:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		<br /><br />『水滸伝』に学ぶ「心をつなぐ力」<br /><br /><br />
<br />
中国宋代の歴史書『宋史』によると、史実の宋江は、<br />
 <br />
宋に対抗した反乱軍の首領で、<br />
 <br />
1121年に現在の山東省のあたりで反乱を起こしたとされ、<br />
 <br />
「宋江は三十六人の武将をもって、<br />
 <br />
数万の官軍に対抗するほどの能力がある」と記されている。<br />
 <br />
この史実から、宋江を首領とする三十六人の男たち(のちに七十二人の男たちを加え、<br />
 <br />
百八人となる)が梁山泊を拠点として、悪と戦う小説『水濡伝』が生まれた。<br />
 <br />
『水濡伝』での宋江は、地元で採用される役人として登場。<br />
 <br />
親孝行で義に厚く、弱きを助け、貧しきを労る人物で、<br />
 <br />
当時の官吏にありがちな汚職もなく、謙虚で、高潔な人物として描かれる。<br />
 <br />
ところが、それ以外に大きな特徴はない。<br />
 <br />
大した武勇もなく、軍略的才能も持ち合わせていない。<br />
 <br />
このような人物である宋江が、なぜ梁山泊の豪傑たちのリーダーとなったのか。<br />
 <br />
彼につけられたニックネームから、その理由を探ってみたい。<br />
 <br />
◆「及時雨」<br />
 <br />
雨が欲しいときに雨を降らせてくれるような人物の意。<br />
 <br />
最も欲しがっているときに、<br />
 <br />
最も欲しがっている物を与えるのが宋江なのだが、<br />
 <br />
何を欲しているのかを知らなければ、与えられない。<br />
 <br />
宋江は人をよく知り、求めている事物を見抜き、惜しみなく与えた。<br />
 <br />
「士は己れを知る者のために死す」。<br />
 <br />
だから豪傑たちは宋江のもとに集った。<br />
 <br />
(第三文明2月号より)<br />
 <br />
◆私は、和歌山在住の【ｍｉｚ】といいます。<br />
<br />
不況で３０数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり<br />
<br />
<br />副収入<br />を捜していた時です。<br />
<br />
工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る<br />在宅ビジネス<br />に出会いました。<br />
<br />
おまけに喜んでもらえて<br />副収入<br />になる<br />在宅ビジネス<br />でした。<br />
<br />
本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
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