■1■いっこく堂「いじめに耐えた中学時代」■ |
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2008年06月21日(Sat)
■1■いっこく堂「いじめに耐えた中学時代」■
いじめに耐えた中学時代
両親は沖縄出身なんですが、神奈川のタイヤ工場に一家で働きに来ていて、 僕が五歳の時に、コザ市(現在の沖縄市)の借家に引っ越すことになりました。 家族で海を渡ったのを覚えています。 地元の子どもたちは、僕が関東の言葉を使うのが気に入らなかったようで、 「お前、変なしゃべり方だな」と、石を投げられました。 そして、あっと言う間に取っ組み合いの喧嘩が始まって、 散々転げまわった末に、相手の子から「お前、根性あるな」と言われて、 すっかり仲良くなりました。 その頃の僕は、どちらかというと、人見知りをしない明るい子。 沖縄の自然に阻まれながら、のびのびと過こすことができました。 そんな性格が変わったのは中学一年の夏。 当時、プロ野球選手を夢みていた僕は、野球部に入っていましたが、 ちょっとした行き違いから、 チームメイトの悪口を言っていると勘違いされて、 「一石と話をするなよ」という話が野球部からクラスに広がり、 しまいには学年全体に広がってしまったんです。 野球は好きだったので野球部を退部することはしませんでしたが、 クラスでも、部活でも、話す相手がいない。 ひと言も口をきかずに家に帰ることもありました。 それでも、自分がいじめにあっていることを 両親に相談することはできませんでした。 心配をかけたくないという気持ちが強かったんです。 そして、中学卒業までの二年半、 いじめがなくなることはありませんでした。 救いだったのは、僕は家族と仲が良かったということ。 家に帰れば、年の離れた弟の子守という役目があったんです。 僕を必要としてくれる存在がいて、 ちゃんと僕のための居場所がありました。 それに、家の近所には特殊学級(現在の特別支援学級)に 通う友だちが住んでいて、 彼らが今までと変わらない態度で接してくれたので、 学校でのいじめにも追い詰められずにすんだのだと思います。 「高校に入ったら絶対に自分は変わるんだ」。 そう言い聞かせて、自分のなかに明るいエネルギーを ため込んでいたように思います。 いっこく堂●1963年、沖縄県出身。本名・玉城一石。 高校卒業後、上京。86年、劇団民藝1こ入団。 92年から、独学で腹話.術を学び始める。 98年、「OWARAIゴールドラッシュ」で優勝したのをきっかけに、 さまざまな声色を使い分ける独自の芸風が話題に。 99年、文化庁芸術祭新人賞を受賞。 全米ツアーでの英語公演や、中国・上海国際芸術祭での中国語公演など、 堪能な語学力で国際的にも活躍している。 http;〃wwwjkkokudou.com/ (灯台7月号より) ◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。 不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり 副収入を捜していた時です。 工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。 おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。 本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて! |
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