■2■いっこく堂「いじめに耐えた中学時代」■ |
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2008年06月25日(Wed)
■2■いっこく堂「いじめに耐えた中学時代」■
◆いったい自分は何がしたいのか
そして高校入学。 同級生と打ち解けたい一心で、ものまねを披露したら、 とても受けたんです。 最初は、竹中直人さんがやる草刈正雄さんのものまね。 どんどんものまねのレパートリーを増やしていきました。 そして野球選手になることが、 体力的にも技術的にも難しいと気付くようになった頃、 新たに見つけた夢は、役者になることでした。 テレビで『池中玄太80キロ』を見て、西田敏行さんのように、 おもしろく、ほんわかさせて、泣かせる役者さんになりたい。 そう思うようになりました。 夢に向かって、今できることを自分なりに考えた僕は、 どんどん人前に出るようにしたんです。 高校三年生の時には、テレビのものまね番組に出ました。 あれよあれよという間に本選で優勝しました。 その時は、役者の夢がグッと近づいたように感じましたね。 そして高校卒業と同時に役者をめざして上京。 日本映画学校に入学したのですが、おもしろくなくて、 三ヵ月で退学しました。 その後、テレビの『笑ってる場合ですよ!』で、 ものまねチャンピオンにもなりました。 でも、これが本当に自分のやりたいことなのか疑問に思い、 それからは目標を見失って、逃げるように沖縄に帰りました。 いったい自分は何がしたいのか、必死に答えを探しつづけ、 二十一歳で再び上京して劇団民藝に入団。 昼間は劇団で稽古をして、夜はアルバイトに出かける、 という生活がスタートしました。 でも、笑いの取れる芝居がしたかった僕は、 役者をやっていても楽しくない。 劇団の方向性ともどんどん合わなくなってしまって……。 自分はやっぱり役者に向いていないのか、と悩んでいたある日、 たまたま劇団の宴会でものまねを披露。 その時、ベテラン俳優の米倉斉加年さんから、 「おまえは一人でやってる時のほうが生き生きとしているから、 役者じゃなく、一人でやってみたら」とアドバイスされたんです。 そのひと言に背中を押され、 漫談などの一人の芸にいろいろチャレンジしました。 そんななかで、小学生の頃にテレビで見た腹話術を思い出し、 独学で鏡の前で練習するようになったんです。 やっぱり人それぞれに向き不向きがあるんだと思いますね。 人を楽しませる手段はいくつかあるけど、僕にとってそれは腹話術師でした。 いろいろ回り道もしましたが、ものまねや役者の経験も、 腹話術の芸に生きていると考えると、 なにひとつ無駄なことはありませんでした。 誰にもまだ発揮されていない能力があり、 その力を発揮さえすれば夢は叶うんだと、実感しています。(談) いっこく堂●1963年、沖縄県出身。本名・玉城一石。 高校卒業後、上京。86年、劇団民藝1こ入団。 92年から、独学で腹話.術を学び始める。 98年、「OWARAIゴールドラッシュ」で優勝したのをきっかけに、 さまざまな声色を使い分ける独自の芸風が話題に。 99年、文化庁芸術祭新人賞を受賞。 全米ツアーでの英語公演や、中国・上海国際芸術祭での中国語公演など、 堪能な語学力で国際的にも活躍している。 http;〃wwwjkkokudou.com/ (灯台7月号より) ◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。 不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり 副収入を捜していた時です。 工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。 おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。 本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて! |
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